僕らは其れに抗うことを良しとしない。

【g】



半重力



 世の中には、どうしたって抗えないものが、腐る程ある。

 例えば美少女、あと格好いい人もそうだ。綺麗な人は見てしまう。僕に非はない、もちろん向こうにもない。見ないように気をつけると、チラ見になって余計目立つ。
 例えば春のあけぼの。有名なあの件はかなり信じるに足る。肌寒い明け方の、あの布団の魅力といったら、それはもう天国が手招きしてるのと大差ない。
 例えば醤油みりんの焼ける匂い。あの香ばしい匂いに勝る食欲増強剤があるなら、教えて欲しいくらいだ。白米があればもう文句はない。日本人に生まれて良かったと思う。

 それらの誘惑は、例えば無条件に僕らを引きつける「引力」みたいなものだ。
 でも引力は相互作用だから――美人が僕に見とれることがなく、布団が僕を欲しがるでもなく、まして醤油が僕の匂いでよだれを垂らしたりしないのだから――それらは一概に引力とは言いがたい。他人に対する執着や恋と呼ばれる諸々も、大抵は一方通行なのだし。言うなれば『半引力』もしくは『半重力』。

 もちろん美形などではないけれど、僕にも何かを引き寄せる『半重力』があったりしないだろうか。

 僕はただ一方的に、あの美しい何か達に引き寄せられる他にない。



パンダ



 同じ部活の相生(あいおい)とは、何やら妙な絆で結ばれている。僕と相生は今にも潰れそうな天文学部に所属していて、そういう意味で友達と言えば友達だ。学年は僕の方が一つ上。だから、普段は部活でも勿論私生活やクラスでも、別のダチとつるんでいる。
 ただ僕と相生には「美術館に行く」という共通の趣味がある。何か気になる展示があれば、先ず相手に連絡するという暗黙のルールができていた。だから相生と話すのは、部活の時より美術館巡りのときの方が断然多いのだ。

『今度の日曜、上野行きませんか?』

 水曜の授業が始まってすぐ、相生からメールが来た。机の下に手を忍ばせて、短く返事。

『何やってんの?』
『リトグラフの企画展かなんかです。あと動物園』

『動物園はいらない(`ε´)』

 不満顔の絵文字を付けて返信。パンダのいない動物園にどれほどの価値があるのか知らんが、相生はやたら動物園に行きたがる。はじめはそんなこと無かったのに、最近は上野と聞くなりまず動物園を要求した。まぁ、結局一緒に動物園に行ったことはないんだけど。
 しばらく真面目に授業を受けて、終業チャイムのすぐ後にバイブが震えた。

『動物園行かないなら先輩と上野行きません(`ε´)』

 こいつは馬鹿か。本末転倒…いや、相生にとっては端から動物園が本題だったのかも知れないけれど。
 僕と、パンダのいない動物園に行って、何の意味があるんだろう。僕らには共通の趣味があって――且つその趣味を分つ仲間が他にいなくて――それ以外では大して仲が良い訳でもなくて。

 それに僕は、すごくつまらない人間だから。

『現地集合11時(`ε´)』

 面倒でそんなメールを返した。当日行ってみて、言いくるめるなり言いくるめられるなりすれば良い。



ラブレター



『現地集合11時(`ε´)』

 先輩からのメールを見て、私はにやにやを抑えながらケータイを閉じた。微妙な返信だけれど、動物園を7割くらいは了承してくれたんだと思う。先輩は押しに弱いから、直接交渉なら負ける気がしない。今まで動物園に連れ込めなかったのが不思議なくらい。

『了解。動物園ですね解ります』

 動物園に行きたいのは、別にオカピの為じゃない。見てみたいんだ、先輩がどんな顔をするのか。

 先輩は額縁の前に立つと、凄く綺麗な顔をする。まっすぐにそちらを見つめて、その枠の向こうが遥か遠くまで抜けているみたいに。私は美術館を歩くその半分を、先輩の観賞に費やしている。
 この人が美術品以外を見つめたら、一体どんな顔をするのか。興味があった。

 先輩はダサい、鈍い、運動出来ないし、頭もあんま良くない、面白いギャグも言えない。顔はマイナスではないけど、プラスでもない。だから、きっと自分のコトつまらない人間だと思っているんだろうな。
 ダサくて鈍いから、きっと自分に向けられた思いなんかちっとも気付かないんだろう。年頃の女の子が、下心(?)なしに男の人と二人きりで出掛けたりしないって、普通気付くでしょう。
 きっと私のことなんか、気付いてなんでしょう?


 ねぇ先輩?
 先輩は自分には引力がないって思い込んでるけれど、よっぽどじゃない限り自分では解らないものなんだよ「g」って。
 かの有名な科学者が、地球がリンゴに引き寄せられるおとぎ話をしていたでしょう。
 引力は、一方通行なんて有り得ない。あなたが世界に引かれるように、誰かがあなたに引かれている。

 私の思いを知ったら、先輩は笑うかな。
 こんな小さな引力に引っ掛かって、木星に沈む宇宙船みたい。

 先輩、私はお月様なんだよ。
 あなたは太陽ばかり見ているけれど、私は端からあなたしか見てないのに、気付かない。

 気付いたら駄目だよ。
 太陽に焦がれるあなたのその横顔を、私が見られなくなってしまう。


 どうか気付かないで。

 「g」



制作:10.04.23
UP:10.04.29