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親愛なる「そら」はやく、キミに逢いたいよ

the Blue



 窓を伝うは哀しい雫。雨が地面を打って、アナタの足先が煙る。濡れた髪が頬に張り付き、空知らぬ雨は隠れてしまった。

 ――ねぇ、何してるの?

 硝子の壁が邪魔をして、ボクの呟きはアナタのところにたどり着けない。まだ雨に濡れる季節には、はやいよ。じめじめして、なめくじみたいに空気がまとわりつく。ボクの方を見て、アナタが笑った。

 ――ボクも、

 押し入れから出したばかりらしい扇風機が、ほこり臭くて、カビ臭くて。ボクは思わずくしゃみをひとつ。
 窓の外、雨の中にアナタはもういない。

 ――ボクもアナタと同じものになりたい



ххх



「渚生(なお)、お前さあ……」
「うん……?」

 赤い夕焼けの帰り道、安斎が言った。いつもと同じ、坂道。春には桜並木になって、冬には魔の滑り台と化す、坂道の真ん中。

「彼女できた?」
「は?!……できてないし」

 安斎は「おっかしいなぁ」とか呟きながら眉を寄せる。ケータイの画面を開いて、データフォルダから写真を一枚引っ張り出した。

「この子、この子」
「おま……写メんなよ」
「いいじゃん悪用してないしさ」

 写真には今まさに眼前に広がる景色と、渚生の後ろ姿。それにもう一人。

「あー……これ従兄弟だよ。てか男だよ?」
「え?!嘘だ、だっていちゃこら……」
「してない。お前どこぞで腐女子の洗礼を受けてきたわけ?」
「えー、つまんね」

 その話題は、それで終わった。渚生にとっては全く「つまんね」ことではないのだが、安斎にはそれ以上のモノである筈がないのだ。
 写真の中で渚生と一緒に坂道を歩いていた人は「桜田そら」という。

 「そら」は男だ。

 少なくとも渚生はそう接しているし、そら自身もそのように振る舞う。ただ、そらの身体は、その想いを裏切っている。



「渚生〜、そらくんから手紙来てたわよ」
「ホントに?あ、ただいま母さん」
「おかえり、渚生」

 にこりと微笑んで笑顔だけ交わす。渚生はパタパタと階段を上がって自分宛ての手紙があるはずの自室へと急いだ。
 そらは偶にこうして手紙をくれる。彼の数少ない「同性」の理解者(ともだち)の渚生は、そらにとって特別な存在らしかった。一つ年上の渚生によく懐くし、電車で小一時間かけて遊びにくる。

『こんにちは渚生、お元気です……よね?
 この前は学校の辺りまで案内してくれてありがとう。来年の春は花見に行っても良いかな?』

 そらの字は、いつも綺麗だ。お気に入りらしい茶色いインクの万年筆の筆跡はいつも滑らかで、余白を汚すこともない。加えて飾り気のない無地の便箋と封筒が余計に彼らしさを漂わせる。

『そうえば学校の友達に目撃されたりしなかった?
 変な噂が立っていないことを祈ります(笑)』

 安斎は別に、見間違いをしたわけではない。そらは男だ。でも彼の身体は違う。
 いつも中性的な格好をしているそらは、女性として見られることが多い。生まれつき美人だし、髪を刈り上げているわけでもない。声だって、少しハスキーなくらいだ。そらは外見を無理やり男にすることをしない。だから渚生の中の彼は「男」か「女」か以前に「そら」である認識が強かった。

『渚生から返事がくるとすごく嬉しいです。
 また手紙出します。親愛なる渚生へ――』

「……地上にいるそらより」

 渚生は手紙を手に持ったままベッドに大の字になって、蛍光灯の灯に目を細めた。吐いた息は短く詰り、喉に熱が溜まる。

 そらは男だ。

 昔は、それで良かった。でも、大人に近付くにつれて彼は「男」から遠のいていく。それが渚生には苦しい。そらに抱く好意のやり場が、解らなくなる。そらは自分の大切な人が自分を「そら」として、「男」として受け入れてくれるのならそれ以上を求めない。  なのに、渚生は、

「……吐き、そう……」

 そらが好きだ。「異性」としてなのか「同性」としてなのか渚生自身で解らない。それこそ腐女子の洗礼でも受けていたら楽だったのかも知れないけれど。この好意は家族に向けるものとも、学校の友達に向けるものとも違う。だからと言って女の子を好きになったときのアレとも思えないのだ。

 そもそも、好意を細分化するときの基準とは何だ。

 ズブズブと沈んでいく思考を断ち切るために、渚生はごろんと寝返りを打った。顔に触れる新しいシーツの温度が、心地良い。熱くなった息と脳みそが、冷めていった。

 渚生がまだ、ぺたんこのランドセルなんかを背負っていたとき。何年かぶりかに「そら」が遊びに来ていた、雨の日。渚生はまだそらと大して仲が良く無かったから、彼に対してありがちな人見知りをしていた。そらも渚生に人見知りをしていたと思う。とにかく二人はまだ、仲が良くなかった。

「そら、渚生お兄ちゃんと仲良くするのよ。せっかく近くに住んでいるんだから」

 袖を掴んで放さないそらに、そらの母さんが言った。当然、渚生の母さんが返す。

「渚生、そらちゃんのこと苛めちゃダメだからね」

 苛めたりなんか、するはずがない。こんな綺麗な子に、手なんか上げられるわけがない。そらがそっぽを向いたので、渚生もそっぽを向いた。
 雨だったけれど、渚生は平皿に注いだ牛乳を持って庭に出た。渚生の家にいつも遊びにくる、野良猫がいた。雨だけれど、来るだろうか?



 猫は、縁側の下にいた。平皿を地面に置いて立ち上がり、空を仰いだ。雨が、渚生の中から出た涙を巻込んで地面に零れ落ちる。
 不意に部屋の中にいた「そら」と目が合う。そういえば彼女の顔は、どことなく今日まで庭に来ていたその野良猫に似ている。

(生まれ変わり、かな)

 猫と入れ替わるように彼女は来た。きっとそうに違いない。
 涙を拭わぬまま、渚生は笑った。

 そのときから「そら」が好きなのだと思う。



ххх



 押し入れから出したばかりらしい扇風機が、ほこり臭くて、カビ臭くて。ボクは思わずくしゃみをひとつ。窓の向こうのアナタは、どこに行ったのだろう。何故泣いていたのだろ。
 今のボクはアナタとは反対のモノだから。

 ――ボクもアナタと同じものになりたい

 ――そうすればきっとアナタの笑顔の意味がわかる



制作:08.10.19
UP:08.10.19