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君の涙が大地を濡らせど

幾何ばかりのその雨は 気付かぬうちに雲へと帰る

君の涙が大地を濡らせど

幾何ばかりのその雨が 誰の目にも届かぬのなら

君の涙が大地を濡らせど

幾何ばかりのその雨が 消えぬようにと空に祈ろう


いずれ誰かが気付くだろうか 大地を濡らす僕らの雨に――

tearless



 いつからだろう、涙が出なくなったのは。

 強烈に記憶の中にあるのは、空の鳥籠。飼っていたインコのピー太が死んだ。昨日まで元気だったのに、朝には冷たくなっていた。
 隣りに住んでいた幼馴染みの女の子が、わんわん、ぼろぼろ泣いていた。母さんも父さんも、目を赤らめて鼻をすすった。鳥のくせに人懐っこいピー太。

 僕だけが、泣いてなかった。

 その事実を隠すために、手の平に顔を埋めた。非情な奴だとは思われたくなかった。悲しかったはずなのに、本当に悲しいのかと自分を疑った。
 涙なんか、出る気配もない。

 少なくともそれから、一度も泣いてない。嬉しくても悲しくても辛くても、泣かなかった。男だからそれでも構わないと思う。涙なんて格好悪いと、自分に言い聞かせた。
 それでもたまに、自分の感情は枯れているんじゃないかって、不安になる。



 新しいお隣りさんは、泣き虫だ。



 マンションの4階、廊下に足を伸ばしてべったり座った女子高生。確か、先週隣りに越して来た水沢さん家の、娘さん。スカートが隠れそうなくらい長いカーディガンと紺色のブレザー。きっと身長は150センチ無いと思う。
 その水沢さん(娘)が、廊下に座り込んでいる。本人は自分ん家の前に座り込んでいるつもりなんだろうけど、その奥のドアに用事のある僕にとっては「とおせん坊」。

「えっと、水沢……さん?」

 通して欲しくて声をかけたら、こっちを向いた。頬が濡れていた。
 足は退けてくれない。

「ダレ?」
「隣りに住んでる原崎です……」

 「そこの……」とドアを指差したら、理解してくれたみたいだった。でも、足は退けてくれない。

「おにいさん、いくつ?」
「ニジュウイチ……」
「社会人?」
「大学生……」

 要領を得なくて、見えないようにため息。
 これでもし彼女が色目なんか使って来てるのだとしたら、大人らしくかわせば良い。でも水沢さんにそんな様子は微塵もなく、こっちを見ているようで、見ていない、何を考えているのか解らない。

「ドコの大学?」
「すぐそこのだよ。ねぇ水沢さん」
「なに?」
「できれば通して欲しいんだ」

 「帰りたいから」と念を押すと、水沢さんは原崎家の玄関ドアを一瞥して、もう一度こちらを向いた。

「ハラサキさん、相談があるの」
「俺じゃないと駄目?」
「ハラサキさんの方が良い」

 その相談とやらが終わるまで通してくれそうもないから、仕方なく隣りにしゃがみ込んだ。
 水沢さんは可愛い。学校でモテるかどうかまでは解らないけど、普通に可愛い子だ。可愛い子だからと自分に言い聞かせて、彼女のために時間を取ることにする。

「何の相談?」
「昨日さ……ピータが死んだんだよね」

 一瞬、心臓がはねた。

「インコ?」
「亀だよ。大きかったけど、ミドリガメ」
「……それは……残念だったね」

 水沢さんは上を向いて、繰り返し頬を透明な液体で塗らした。「ピータ」のために、彼女は泣いた。
 これだから、女の子は……。

「昨日から、ナミダが止まんないの……」

 「だから、何?」イラついた喉から、キツい言葉がでるのを抑える。どうして思春期の女の子という奴は、大したことじゃないのに、こうもぼろぼろ泣くんだろう。

「どうしたらナミダ、止まるだろう……?」
「さあ。解んないよ」
「ハラサキさんなのに?」
「原崎さんだからだよ」

 なんて不真面目な会話だろう。水沢さんはローファの靴先を繰り返しこつん、こつんとぶつけながら、それでもまだ泣いていた。

「原崎さんは泣かないから」
「泣きそーなのに」
「残念でした」

 そこまで話したら、水沢さんは足を退けてくれた。

「どーぞ……」
「どーも」

 とおせん坊が退いてくれたので、僕はそそくさと前を通り、自分ん家のドアに引っ込んだ。
 水沢さんはまだ泣いていた。


「水沢さん…!」

 結局舞い戻ってドアを開けると、水沢さんもまだそこにいて泣いていた。足は結局とおせん坊に戻っている。

「下の名前なに?」
「……かよ」
「水沢かよ、ぷれぜんと」
「なに?」
「ピータのぬくもり」

 乱暴に投げたのは30分前に開封したホッカイロ。水沢さんは受け取って、まだぼろぼろ泣いた。

「ピータは亀だから、暖かくないよ」
「いらんなら返して」
「いや」

 さっきまで流れていた涙は粒になって零れ、温かいはずのカイロを塗らした。

「……家ん中入んないの?」
「ソラが、きれいだから」

 見たら空は綺麗なオレンジに染まっていた。平たい雲は白とグレーの二層に分かれている。
 水沢さんが泣きやまないから、その「きれいなソラ」を指差して、

「ピータのぬくもり」

 言ったら水沢さんは笑った。



 泣きやんでないけどね。



 その日は余計に質が悪かった。今日も水沢(かよ)さんは盛大に泣いていた。

 僕の家のドアの前で。

「水沢……さん?」
「おはようございます」
「おはようございます。何してるの?」

 水沢さんはドアの開いた前で、スクールバッグを抱えてひよこ座りをしていた。
 朝の8時に、女子高生が家の前で泣いている。そもそも出て来たのが僕ではなく、父や母だったら彼女はどうするつもりだったのだろう。

「ハラサキさん、待ってた」
「今日はホッカイロないよ?」
「うん」

 ホッカイロ目当てだとは端から思っていないけれど。恐らく水沢さんは、僕に相談を強制したいみたいだった。
 ぼろぼろ涙を流して、こっちを見ているようで、見ていない。

「……何があったの?」
「……。好きな人に……」
「うん」
「ふられた」

 今日はため息を表に出すことにして、水沢さんの頭の上に手を置いた。小動物みたいに撫で回したいところだけど、セットしてあるみたいだから止めた。

「残念でした」
「ナミダが、止まらない……」
「うん」
「どうしたらナミダ、止まるかなあ…?」

「新しい恋をしたら良いよ」

 水沢さんは不意を突かれたように、濡れた目を見開いた。「解らない」という答えを、期待してたのかも知れない。

「涙は知らないけど、失恋はそれで治るよ」
「……ハラサキさんで良い?」
「原崎さんは駄目だよ」

 水沢さんは、涙を流しながら、ずっと僕の後ろを見ていた。涙を流すほど「悲しい」のに、冗談を言う余裕はあるんだ。講義に遅刻したくなくて、最後に釘をさすように、

「原崎さんは犯罪者になりたくないから、駄目」

 言ったら水沢さんは笑った。



 それから何度も、水沢さんは僕に涙の相談を強制した。



 マンションの廊下以外で、彼女を見るのは初めてだった。
 4限目が早々に終わって出て来たら、高校生の下校時刻にぶつかった。水沢さんは男子高生と一緒に歩いていて、泣いてはいなかった。この間ふられた男とは別人なのだろう、僕のくだらないアドバイスを実行したのかも知れない。
 横断歩道で足止めを食らったとき、水沢さんと目が合った。彼女は直ぐに視線を外して、慌てたように男のそでを引いて行く道を変えた。要するに、無視された。

 男と歩いていたことよりも、無視されたことが、僕の気持ちをイラつかせた。将来子どもを持ったとしても、娘は欲しくない。自分の娘にあんなことをされたら、相当ショックだ。


 イラつきが収まらないまま家に帰ると、丁度電話が鳴った。若しくは、帰ってくる前も鳴っていたのかも知れない。

 どうして、嫌なことはまとめてやって来るのだろう。ばらばらにやって来るのだとしたら、量として嬉しいことに敵わないだろうに。

 ピー太が死んだときのことを思い出す。悲しかったはずなのに、涙が出ない。
 水沢さんのことを思い出す。何かある度にぼろぼろ泣いて、僕の時間を奪う。



 今日も涙なんか出る気がしない。



 自分ん家の前に胡座をかいていたら、水沢かよが帰ってきた。
 水沢さんは僕を見つけるとびくりと肩を震わせて、気まずそうな顔で歩いてくる。無視することも出来たと思うけど、彼女は律義に立ち止まった。

「なに、してるの?」
「水沢さんを待ってたんだよ」

 水沢さんは僕の横に腰を下ろす。

「さっきの子はね……」
「うん」
「彼氏じゃないよ。告白されたケド」
「うん」
「あたし尻ガルじゃないもん」
「うん」
「ハラサキさん……?」

 何がしたいんだろう僕は。
 僕の名前を呼ぶころには水沢さんの声は震えていて、涙が零れ出した。彼女が泣いているのは何度も見たけど、泣き出す瞬間を初めて見た。

「……好きな人が」
「え……?」
「亡くなった。身体の弱い人だった。ずっと会っていなかったんだ」

 心が麻痺して、自分の意思を読み取れない。何がしたいのか、何故水沢さんにこんなことを話すのか。

「ずっと……」
「ずっと好きだった?」
「うん」

「なのに、涙が出ない」

 心が、肺が、心臓が、うまく機能しない。
 何故泣かない。非情なヤツめ。

「涙が出ない。俺は嫌なヤツだ」
「ハラサキさん?」
「水沢さんみたいに泣けたら良かったんだ」
「ハラサキさん」
「俺は非情だから、綺麗な涙なんか出ない」
ハラサキさん!!

 彼女はまだ、ぼろぼろ泣いていた。震える手で、僕のそでを掴んでいる。

「ハラサキさんは、非情じゃない……」
「どうして?」
「涙なんか、なんの意味があるの?」

 そう言う彼女はしょっちゅう泣いて、悲しみを表現しているのに。その行為に意味がないと。

「涙はね、悲しみを和らげるタメに出る」
「俺は和らげる必要がないくらいしか、悲しんでない」
「そうじゃ、なくて」
何が?
「そうじゃ、なくて……」

 イラつく。どうして思春期の女の子は……ああ、何にイラついているんだろう。全部自分が悪いのに。

「ハラサキさんは……悲しいの全部、感じてるんでしょ?
 あたしは、全部……外に出しちゃう、から」

 どもるセリフの間に、嗚咽の気配が交ざる。悪いのは全部僕なのに、どうして彼女は……。

「涙が、出ないのは……悲しいの外に出してないからで、全部……ちゃんと自分で
 だから、ハラサキさんは……」

 どうして彼女は泣くんだろうって。
 水沢さんの言葉はそこまでしか出てこなくて、変わりに訳の分からない奇声が出てきた。いつも静かに泣いていた水沢さんが、声を上げて泣き出した。わんわん、子供みたいに。正直面食らった。
 階段を上がってる途中だった上の階の奥さんが、けげんそうにこっちを見ている。変な誤解を、されそうだ。

「ちょっと水沢さん、泣かないでよ……!解ったから」
「うぇ…ぅぐ……」
「水沢さんが泣くことじゃないから……」
「ハラサキさん、は…ぅ……非情じゃないの〜…」
「うん、解ったから。解ったから……」

 ぐしゃぐしゃになった水沢さんの顔を、可愛いと思う。もちろんいつもより不細工なのだけれど、いつもより、うん。

「水沢さん」
「な、に……?」
「水沢さんの涙、貸してくれないかな。
 今泣いた分、俺の悲しいの涙にさして」

 涙にはやっぱり意味があって、それはもちろん感情を和らげる為だとか、いろいろ在るのだろうけれど。
 何より他者にその悲しみを伝えることができる。例えば故人に、「アナタを失って悲しい」と伝えることができるかも知れない。

「………、…」

 水沢さんは返事をせずに自分の涙を拭った。その手はこちらに差し延べられ、僕の頬に触れる。まるで涙を流したみたいに、その肌を濡らして。

 ああ、こうして頬に涙が伝ったのは、いつぶりだろう。

「ハラサキ、さん……失恋をなおす方法」
「ん?」

 水沢さんは泣いたままで、自分のことを指差した。そうしてにっと笑って見せる。

「原崎さんは犯罪者になりたくないから、駄目だよ」

 言ったら水沢さんは、膨れて泣きやんだ。



制作:09.03.15
UP:09.03.19