Replica'


 SF風に云うなら、人生っていうのは数多に分岐した時間の筋道の一部を、主観的に観たときの呼び名なんだろう。其の分岐点で立ち止まり、道を思い悩むのは贅沢だろうか。

 人生を選び取るのは傲慢な行為だろうか。



act.A2-2 複製讃歌




 教室の窓の大パノラマに拡がる空は何時もより色濃く、気持ち悪いぐらいに鮮明だった。浮出た雲がのっそりと青の上を進み、風に削がれ、再び増えたりを繰り返す。きれいだと、心の底から思った。星空なんかより濃紺な昼の空の方が数百倍好きだ。ユダは一つ大きな欠伸をこしらえた。
 頭の中がぼやけて、目の前の映像が角の取れた滑らかなものになる。
 ああ、眠い‥。

「ユダってヘタレなん?」

 不意に届く友達の声に思考がぴたりと止まる。「あ?」と問い掛けの音を発した後で、やっと内容が理解できた。

「何だよいきなり。」
「んーいやさぁ‥。」

 教師の視線がぎろりとこちら側を向いて、サクが肩を竦める。声のトーンを落として続きを紡ぐ。

「薄々感づいてはいたんだけど、この前の『死神』の発言で確信を得た訳よ。な、どう思う?」
「本人に聞いて如何すんだよバカ。」
「わっ、へたれユダくんにバカって言われた‥!」

 後ろに座っていたリヴが二人の頭をど突く。「何で俺まで‥!」とでも言いたげな顔のユダに、リヴは声に出さずに「寝るな。」と念を押した。

 空がきれいだ。







 屋上の入口のドアノブに、ぐるぐるに巻かれた鎖と南京錠。取り外すのに割く時間はものの30秒ほどだが、これは南京錠を開ける為の鍵を持っていたらの話だ。若しくはパズルを解くだけの脳ミソを。
 南京錠にあまり意味はない。開けられなくとも外すことは可能なのだ。そう云う風にユダが巻き付けた。ちょっとしたパズルなんだ。この『パズル』のお陰で、ユダは色々こじつけて職員室から鍵を借りることなく屋上に出ることが出来る。立入禁止の屋上は、一番の逃げ場所だ。

ガチャッ‥

 外に出ると、思いの他風が強い。上空はそんなではない、と思うのだが。校庭からは見えないであろう位置から街を一望する。特別都会と云うことはない。むしろ住宅街と呼ぶに相応しい街並みで、電車で何駅か行かないとビル街にはお目にかかれないぐらいだ。
 建物の影でいびつではあるものの、地平線の僅かな丸みを感じることが出来た。


「マ〜ティストさん。」

 妙にリズムの良い声で恐らく自分のことを呼ばれて、慌てて振り返る。
 何と云うか、如何云うリアクションを取るべきか考えこんでしまって、結局適当な反応をすることも出来ずに溜息をつく。「死神少女」は静かに笑って、ゆっくりとユダに歩み寄った。

「こんな処で校則破ってて良いの?」
「‥‥良くない。」

 母さんがさも一大事かのように嘆くから、迂闊には校則を破れない。けれど居眠りと屋上は例外だ。これがないと生きて行けない。ラキは床にべったりと座り込んで、軽く伸びをした。

「なあ、」

 返事の代わりにラキが首を傾げる。ユダは其の横に胡座をかいて、彼女と同じ方向を ―― つまり視線のぶつからない方向を向いた。

「『マティストさん』って呼ぶの、勘弁して‥。」
「嫌なんだ。」
「嫌。最悪。」

 「そ。」と答えたのか答えていないのか、微妙な処だった。しばらくの間空を眺めていた。口数の少ないラキが何か云うこともなければ、ユダの方も之と云って話したい話題はない。
 いい加減沈黙が堪えられなくなって、先にユダが口を開いた。

「‥俺、自分がマティストだって宣言されて、すげえ嫌だったんだ。自分のやりたい事、将来やりたい事?とか決めらんないじゃん。
 そう云うのって、やっぱ自分で決めたいじゃんか。」

 近しい人にも、赤の他人にも打ち明けられない。どちらでもない、尚且つ自分とは全く違う次元に住む彼女になら、少しぐらい愚痴っても良いような気がした。「死神少女」は、同情することも蔑むこともなくただサラリと流すだろう。

「俺、贅沢か‥?」

 「マティスト」を捨てるのは、そんなに贅沢なのか‥?解らない。
 ラキはユダの方を向かずに、すくりと立ち上がった。彼女の白い髪が、晴れた空の青を仄かに透かしている。

「最高の贅沢してみる?」
「は?」

 また静かに笑って、不思議な足取りで柵の前まで行く。手招きした訳でもないし声を出した訳でもないが、ラキはユダにもコチラに来る様に促した。
 風で白いシャツの裾がはためく。たった数メートル前に進んだだけなのに、視界が開け校庭が見えた。球技大会に向けて熱心なクラスのバレーチームを除けば、昼休みに校庭で騒ぐ中学生は思いの他少ない。

「何すんの?」
「だから『最高の贅沢』だよ。」

 贅沢 ―― 必要以上の浪費。若しくは恵まれたもの否定とか‥?
 ラキは腰辺りまである柵に腰かける。彼女は笑みを消して、其の顔の中では唇だけが黙々と機械的に動いた。



「人間の命を浪費するの。」



 ずきりと頭が痛む。風が頭の中で反響して、歌声の様に響いた。

「お前其れって‥。」
「飛び降りれば良いんだよ。5階建てだし、平気だよ。」

 平気って云うのは、即死だから痛い思いをしなくて済むって意味か‥?何か間違ってる。こんな風にいともたやすく死を提示してみせる彼女が。

「贅沢するの、怖い?」

 怖くない人間がこの世にいるのか。ラキ自身は平気だとでも云うのか。彼女の唇の両端が、今迄にないくらいに吊り上がる。「死神少女」 ―― 不意にそう云う単語が頭を過ぎった。風は一層強く、歌は悲鳴に。

「其れじゃ、お先に。」

 「え?」と反射で出た声さえ耳に届かない。スローモーションみたいにふわりと後ろに傾いた彼女の身体。込み上げるのは恐怖、不安、絶望と期待、其の他諸々の欲望。





 思いきり引いた反動でついた尻餅がじんじん痛む。
 伸ばした手が掴んだものは、驚くほど細くて冷たくて軽かった。自分の腕の中から聞こえる彼女の言葉は、痛いほど鋭くて冷たくて重い。

「之も一つの贅沢。人の命を弄ぶんだから。生かすも殺すも、関係ない。」

 他人の死に手を出すほどのお節介は他にない。自分が其の人の「生」に、どれほどの責任を負えると云うのか。
 ほんの一瞬だけ彼女の表情に人らしい「憂い」が混ざったのに、何も出来ない自分が恨めしい。格好いいヒーローとかなら、此処ぞと云う感じでヒロインを抱き締めて何も云わずに彼女を受け入れてあげるんだ。解っている。自分はそんなヒーローな訳ないし、ラキも儚いヒロインと云う柄じゃない。でも多分そう成れたらずっと良い。

「ほら。」

 そう、儚いヒロインとかじゃないんだ。死に直面して、もうケロリと「死神少女」に戻っている。するりとユダの腕から逃れて、まるで謎掛けみたいにからかう。

「ユダは死にたくないんでしょ?だったら答えは簡単だよ。」

 解っているさ。答えが出ていない訳じゃないんだ。其れを素直に実行する、勇気がないだけ。
 辛うじて繋いでいた左手が離れる。ラキは何事もなかった様にユダの横を通り抜けた。ゆっくりと、ユダの視界から彼女の姿が消えて。

「『世界(レプリカ) 』が壊れないうちに、したいことしなきゃ。」

 風が運ぶ悲鳴が「讃歌」だと、今更気が付く。崩れゆく「世界」に捧ぐ讃歌 ―― 。
 彼女にはもう大分前から聞こえていたんだ、此の不協和音が。


 なあリヴ、やっぱり神様は存在するんだ。レプリカ以外には。レプリカに神様はいない。だから壊れてしまうんじゃないだろうか。


若しくは

死神が一人。


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