Replica'


 君のその重大発言は、単に君にとって呟きか妄語に過ぎないのか。僕を支配する困却は、独り善がりで無意味だ。



act.A3 呟きの余波




「何かあったんか?」

 不意に耳に届く言葉、ユダは生唾を飲み込んで相手の方を向いた。リヴはヤル気なさそうに背中を丸め、半分埋めた顔を僅かに傾げる。
 リヴの向こう側にはサクが寝息を立てていて、いつもと同じ風景が広がっている。いつもと同じ先生の白い目、いつもと同じリヴの大人びた気遣い。

「‥‥いや‥。」

 ―― レプリカが滅びるだなんて、冷静に考えれば信じられない。でも、其れは真実で疑いようがない。耳に残る生々しい悲鳴に、鳥肌が立つ。聞いた者にしか解らないだろう絶対の絶望感。何故信じている‥?自分は。

「リヴこそ調子悪そうじゃんか、何かあったの?」
「ん?別に‥?」

 多分自分の弱くて情けない処。信じて貰えないと決め付けて、軽蔑されるのが怖い。自分の口にする言の葉の一つ一つが、卑しくて、気持ち悪い。

「リヴが調子悪い理由、教えてくれたら俺も相談しようかな。」

 リヴは苦笑してシャープペンシルをくるりと回した。こんな話の振り方をする必要はなかったのに。自分で気付けないモノの筈はなくて、今日は調子が出ないからと理由をつけて。

「別に云いたくないなら云わなくても良いよ。」

 苦笑したまま付け加えられる言葉。

「別に云いたくないなら、云わなくて‥。」

 呟くように繰り返す。喩えば畳み掛けるみたいに、喩えば自分に云い聞かせるみたいに。





 この学校で良かったと想えることは、多分教室の造りくらいだろう。雛段状の広い部屋の側面は一面窓ガラスで埋め尽くされている。夢のような大パノラマが好きだ。

 演劇の暗幕に匹敵するくらいの大きな白カーテンが、僅かにはためく。他に誰もいない教室で、一人ぽつんとヒナキ=ハピスは寝息を立てていた。窓から吹く風が、其の長い黒髪を揺らす。ユダは後ろめたい気持ちで教室に入って、先刻まで自分の座っていた席まで歩を進めた。席には飲みかけのパック牛乳が置き去りにされている。
 ヒナキと云えば学校で一、二を争う程の優等生で、最近州知事から「特待生」の地位を貰ったらしい。そんな彼女がこんな処で居眠りをしていると云う事実が、如何にもユダには飲み込めなかった。もうすぐ始業のチャイムがなると云うのに‥。

 ―― そいやコイツ死神少女と仲良かったっけ‥。

 極力音を立てぬようにと来た道を帰るが、果して彼女を放って置いて良いモノだろうか。彼女自身が自ら意として睡眠を貪っているのか、若しくは不可抗力か。前者なら無理に起こすのはガリ勉野郎のやらかしそうな“ヤボ”であるし、後者なら声一つ掛けないのは余りに不親切だ。ユダは入口まで戻ってから振り返り、控え目な大声(・・・・・・) を吐き出した。

「授業良いのかヒナキ=ハピス‥!」

 一瞬の静寂の後、怖い程唐突にむくりとヒナキの頭が持ち上がった。長い黒髪をボサボサにして驚愕の表情でそろりと顔をこちらに向ける。

「もう‥始まってる‥?」
「まだ、だけど‥。」

 険しかった表情は和らぎ、ヒナキはゆっくりと髪を梳いた。視線は何処か虚ろで斜め下を向き、目の下の薄い隈が其れを助長する。
 一度露骨に肩をすくめた彼女は、其の後に笑顔を紡いでユダに向き合う。

「ありがとう、寝過ごしちゃうトコだった。」
「真面目だな“特待生殿”は‥。」

 ―― まただ。
 こんな皮肉を云う必要性は全くなかったのに、卑しい言葉ばかりを吐いてしまう。そんなユダの自己嫌悪を余所に、ヒナキは先刻とは別の質の笑みで会話を繋ぐ。

「不真面目ね“マティスト様”は。」
「不真面目だったらわざわざ起こしたりしなくない‥?」

 ヒナキは「そうね、」とくすくす笑った。其れからさっきと同じように、同じ言葉を。

「ありがとう、ユダくん。」

 同年代の女の子に素直にお礼なんか云われると、気恥ずかしくて堪らない。ユダは恥ずかしさで頭を掻くなんてお決まりのモーションを必死に抑えて、今度こそはと教室に背を向けた。

「あ‥」

 呼び止める意味を持つだろう声に、踏み出した足がぎこちなく下りる。顔だけ後ろを向けて「如何かした‥?」と問い掛けると、声の主は苦笑し否定の言葉を紡いだ。

 素気無い少年の背中が見えなくなり、ヒナキは今正に無人になろうとする教室を一瞥した。
 不意に風が凪ぎ、白いカーテンが騒ぐのを止める。其れを眺め、ラキのことを想う。他人から好かれることに、何の興味も示さない彼女。必死に何度も話しかけて、やっとのことで友達と認めてもらった自分。それから、ヒナキが知る限り初めてラキが興味を示した頼りない少年。ラキがユダに何を話したのか、知らないが故に何も出来ない歯がゆさが身を襲った。以前よりもずっと、頭痛を多く訴えるようになったラキ。
 何かが変るのだろうか、自分ではなくユダ=ルークスであれば。
 「如何かした‥?」ユダが問い掛けたあの時に話せば良かったのだ。きっとユダだって大多数の人間がそうであるように、ラキのことを誤解しているのだろうから。



 ラキ=ヴィスタの中には「誰か」が巣喰っていて、彼女は其れに囚われている。
 ラキ=ヴィスタは何時も「誰か」と一緒にいるけれど、故に孤独だ。

 それからラキ=ヴィスタは「寂しい」と云う感情を、今も持ち続けている。


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