Replica'


 紅に汚した手のひら、



act.A4-1 花時雨




 トラックの荷台いっぱいに積み込まれた、紅く艶やかな彼岸花。まだ色濃く夏の色を残す中、文化祭の準備は着々と進み出す。雨の匂いがする。

 何時もと同じ日だ。幾人かの熱心な生徒を除いては、大多数の意識が授業の外に向いている。夫々に各々に、様々な方向に。
 何時もと同じ日は、例外なくいずれ崩れゆく。加えて云うのなら其れを崩すのは、大抵何時もと同じ代わり映えのしない人物だ。最近は得に、ユダにとっては。

「ラキ‥?」

 学級委員のラドフが通院で遅めの登校をして間もなく、ヒナキ=ハピスがひっそりとその人の名前を呼んだ。名を呼ばれた死神少女は、友達の言葉に僅かに微笑むだけ。そうして何の躊躇もなく教室を後にした。

 ざわめいた教室、ぽかんと口を半開きにして立ち尽くすラドフ。憤慨した教師が顔を真っ赤にして、廊下に何か叫んでいた。





「凄く具合が悪そうだったんです‥!だから、そんな悪気が在った訳じゃなくて!」  授業が終わってもラキが戻ることはなくて、ヒナキはその面子を保とうと躍起になって教師に食い下がっていた。どう見ても勝ち目のない戦に、サクがいそいそと加勢に向う。

「サクって役に立つのか‥?」

 短い沈黙の後に、溜息を吐いたリヴがまたその輪に加わった。

 何だか面白くない。ヒナキがラキをかばうのは解るし、サクがヒナキに助力するのも仕方ないとして。ただ、其処にリヴが加わると構図ががらりと変わってしまう。「ユダ君以外、みんなでラキちゃんを助ける」形はもの凄く、面白くないのだ。
 教師と対峙した三人の勝敗はともかくとして、午後の授業にもラキの姿はない。キャラキャラした女子が、「トイレで吐いている」なんて噂を流していた。


 雨水がしとりと窓硝子を濡らす。次第に量を増す光の筋は、気の早い時雨として堂々と空を占領した。講義の声が、濁った雨の音に溶けていく。
 何時もと同じ日は、もはや何時もと同じ日ではない。そうなれば「何時も」を壊す人間も、ある範囲で特定する必要がない。もちろん「何時も」を壊す手段さえ。

「この『少年H』を始めとする古典(・・)を学ぶことは、地球文化やその歴史を知る第一歩になるでしょう‥。」

 巨大な窓硝子のスクリーンを染める、銀灰色の空の水。ユダは窓の外を見つめて、其れが青くないことに僅かに顔をしかめる。

 不意に黒い染みが空を汚した。

 びくりと肩が震える。寒い。スローモーションで過ぎる其の黒い染みは、ぎろりと此方を睨んだ。突き刺さる雨に押される様に、染みは下へ下へ落ちていく。
 悲鳴が辺りを満たしている。空を落ちていった人間は、停まっていたトラックの上へ。詰まれていた彼岸花を宙に散らした。怖い程艶やかな(べに)の花は、まるで人間の血液の様に舞い上がり、落ちていく。

 空を汚す、墜ちゆく人と紅い死人花 ―― 。


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