Replica' |
ときどき、自分が偶然の中を生きているのか、必然の中を生きているのか、分からなくなる。 それは多分僕らが作り物の中に生きているせいで、 この星と僕らの全てが、作り物であるせいで。 それから、ココアが冷めるまでの間にリヴの体調はどんどん悪化していった。顔は青ざめて、何度も繰り返す吐き気。「吐いちゃえよ」ってユダが云ったら 「吐いてもココアしか出ないよ」 彼は途切れる息で笑った。 余裕がなくなるにつれて、リヴの言葉は堂々巡りみたいにまた弱気になっていく。繰り返し怯えては「軽蔑されたくない」とうわごとのように呟く。 「オレ、なんか薬買ってくる……」 結局ユダはいたたまれなくなって、そう云って玄関先に向かった。 リヴに背中を向けたそのとき、シャツを僅かに引く感覚と共に彼が倒れる音がする。 どういう説明をしたら、この状況を上手く伝えられるだろう。 倒れたのはリヴではなく、茶色い毛をした大きな犬だった。襲われたら勝てないかも知れないと思わせるような大きな犬が、舌を出して力なく倒れている。車にひかれた猫の屍体みたいだ。 「リ…ヴ……?」 部屋の中には、ユダと、犬と、空気があるばかり。先刻までそこにいた、この部屋の主人の姿は見当たらない。ただ、何かの確信がユダを占領していた。 「…………」 倒れている大きな犬に、そろりと手を伸ばして堅そうな毛並みに触れる。この犬の匂いは、ずっと前からこの部屋にあった匂いだ。要するに彼もこの部屋の住人であるに違いない。 ユダがその額を三度撫でたとき、ぴくりと犬の耳が立った。意識を取り戻した大きな犬は、ゆっくりと瞼を持ち上げ、悲しい視線でユダを見上げる。瞳の色は、当然のように紺色だ。 「リヴ……?」 ユダが呼ぶと彼は小さく鳴いた。 大きな犬はリヴだ。少なくとも、彼と同じ名前ではあるだろう。 彼と入れ替わるようにこの空間に現れ、彼と同じ色の髪と瞳をもち、彼の名前に返事をする。例えば物語の世界なら、明白なことだ。 ただ、現に有り得るだろうか?人間が犬になるなど。若しくは犬が人の姿をしていたのだろうか。 考えていたら嘲るような笑いが漏れた。 「バカっぽいな」 一瞬、ユダの言葉に犬の瞳が揺らいだ。本当にバカな話だと思う。 「お前がリヴなら良いのにって思ったよ。オレ、自分勝手じゃんな」 犬の頭をもう一度なでる。以前彼に触れたときと同じ温度がした。それに触れると不思議と安心する。 例えばサクがこの場にいたとしたら、どんな判断を下すのだろう。そんな馬鹿げた発想は端からしないだろうか。 「自分一人が化け物なのが嫌なんだ。 マティストは神様の子だって、母さんたちは喜ぶけど。本当は……」 起き上がった犬は、その僅かに濡れた鼻先をユダの肩に押し当てる。 「本当は、自分は生まれ損ないなんじゃないかって」 そこまで言うと、犬は遮るように一度吠えた。こんなところも、彼にそっくりだ。 それから一時間程しても、人間の方のリヴは現れなかった。仕方なく犬の方に戸締まりを言い残して、アパートを出ることにした。門限ぎりぎりだ。 この生き物がリヴとは違う存在にしろ、そうでないにしろ、人間のときの彼に訪ねないことには判断がつかない。 「そうえば、明日はちゃんと来いって、サクからの伝言」 アパートを出ることを二度戸惑ったあと、ユダはそう言って三度ドアを開けた。 明日はどうか、学校に来てくれますように。 一限も、二限も、三限も四限も、昼休みが過ぎてもリヴは学校に現れない。サクはユダの頭を一度小突いただけで、他には何も言わなかった。例えばリヴはあのまま犬の姿のままで、もう一生学校には来ないのではないかと、そんな考えも頭を過ぎったりした。 結局帰りのSHRにも、リヴは現れなかった。 「ユダ何かあった?」 屋上前の階段に行くと、キョウがいてそんなことを言った。キョウは徘徊癖があるが今日はそこにいた。 「変な顔してる?」 「まぁ、いつも同じ顔だけどね」 ため息をつきながらユダが横に座ると、キョウがぽんと手を叩く。 「解った」 「なんが?」 「ユダは今から密会だ。ボクがここにいたから、不機嫌なんだ」 「はぁ?」 ユダが他の言葉を口にするよりも先に、キョウは立ち上がり、三段分を飛び下りた。 「どうぞごゆっくり」 「……ユダ?」 キョウでもユダでもない声が、名前を呼んだ。 彼の登場にキョウは満足そうに鼻をならす。ユダと彼に軽く挨拶をして、ふらふらとその場を後にした。 現れた彼は、犬ではなかった。目の下にくまをこしらえ、不安そうな面持ちではあるが人間の姿をした彼だ。 「リヴ」 リヴは何も言わないままユダのところまで歩いてきて、犬の頭をそうするみたいにユダの髪をわしゃわしゃと撫でた。 「今日学校サボってごめん。 あと、ユダは生まれ損ないじゃないよ」 そうして、またいつもみたく笑った。 |