頼りない灯に照らし出された室内は簡素で、其れでいて居心地の良い雰囲気だった。一式の家具達は左右対称に並び、入って正面と左手に窓がある。右手はまっさらな壁だ。 「俺窓在る方使ってるからシェーマスは其方な。」 「解った。」 サディがランプの明りを強める。窓の外は大分小降りにはなったものの、まだ雨模様だった。窓に映ったサディの顔が、笑う。 「俺と相部屋が嫌だったら内務班長に云えば替えて貰えると思うぜ。」 「別にそんな‥。」 「今まで保ったのは最長一月だったかな。」 彼の言葉の意図が解らない。意図など無いのだろうか。単なるからかいなのかも知れないし、真実と云うのは考えにくいが。 「シェーマスは俺と上手くやってく自信ある?」 第一印象とはあながち馬鹿に出来ないものだと郁方は思っていた。もし其れが正しい見解だとすれば、答えは至極簡単だ。 「あるよ。」 上手くやっていけない人間とは生理的に解るものだ。其れ以外ならば、大抵は自分の考え方一つで相手を理解することが出来る。 簡潔に答えた郁方にサディは一瞬目を見開き、笑みを浮かべた。 「自分が嘘ついててもそうゆうこと云えるんだ。」 「え‥?」 脈が大きく波打つのを感じる。何故彼は自分のことを知っているのだろうか。最初に入った部屋に彼の姿は無かったし、迅速に情報が回される程彼が重役だとも思えない。ローズは彼の家族だけれど、情報を漏らす人には見えなかった。 なら何故? 「考え込むなよ。嘘ついたってバレバレだぞ?」 思わず顔が引きつる。彼は鎌をかけただけなのだ。郁方の考え込んでいた時間が、嘘の大きさを物語ったと言ってもおかしくはない。 「やっぱりだ。そんだけデカいリアクションすんだ、最上級の嘘だろう。」 「それで?」 ブーたれた口調で郁方が云う。 ローズに泣き付いたルームメイトの気持ちが少し解った。誰だって嘘の一つ二つ持っているものだ。だとしたらサディのやり方は堪えられない人間にはまず、堪えられない。 「手の内明かせってか。別に良いけど、俺シェーマスの敵に成るつもりないし。」 「其れはどうも。」 あまり効果のない皮肉。自分で其を承知している反面、少し悔しくもある。 サディはベッドに腰を下ろし本のページをめくった。タイトルは『A Witch Of The Other World』。 「『意思を継ぐ王』、其の湿布の下は『悪魔の印』って処か‥?」 「らしいけど、正直‥。」 信じられない。サディは今度ばかりは笑わなくて、静かに本にしおりを挟んだ。低い声で ―― 響きはしないが深い声で、云った。 「シェーマスお前、嘘を何だと思ってる?只の恥だと?」 「は?」 「身を護る術だと考えたことはないのか?」 難しい表現だが確かにそうかも知れない。自分の面子や友好関係を護る術だと云えなくもない。只サディの言葉のニュアンスは少し違う様に感じられた。身を ―― 命を護るのだ。 「俺が今シェーマスをナイフで刺し殺しても何の不思議もない。そう云う立場の筈だろう。」 ぞっと背筋が寒くなった。そう云う意味だったのだ、彼女が云っていたのは。 「しらをきり通すしかないんだ。誰も信用出来ない、俺のことも姉さんのことも、フランクさんも、総帥も、誰一人。」 たった一つの嘘をつき通すことが絶望的な事態の様に思えた。只救いがない訳ではない。郁方の思い過ごしかも知れないし、100%そうだとは云い切れないが、恐らく彼 は ―― 「だとしたら俺はそんな世界堪え切れる気がしない。」 恐らく彼のことは信用して良いのだと思う。彼を疑うのは刃を向けられた後でも遅くはない、そんな気がしたのだ。 「何の愛着もない世界の為に生きられないよ。」 人と交わるとはそう云うことだろう。世界中の生き物が死に、たった独り自分だけ取り残されたら一日だって生きていける自信がなかった。 「―― 唯一 人の心か‥。」 何時聞いた言葉だっただろうか。ふっと郁方はそんなことを思った。 「『紅の魔女』の賭けは成功かもな。俺も誓おう、壁はないけれど。」 「壁?」 「壁。」 サディは雨の吹き込む窓を開け放ち額の上で十字を切った。郁方には違和感の残る宗教的な儀式は無音のうちに行われた。 我等が王に 此処に誓わん ххх クローゼットには詰襟の紺碧のマントと、藍鼠色のローブに似た其れが一着づつ収まっている。やはり同じ様に入っていたシャツに袖を通した郁方は、部屋の反対側で着替えるルームメイトに問い掛けた。 「之、どっち着るの‥?」 「ゴツい方。青いのが正装、灰色のが普段着る制服。」 そう云う彼も正装の紺のマントを着ている。止め具に悪戦苦闘する郁方にサディは露骨に溜め息をついた。 「あんま朝飯掻き込むなよ。人によっては吐く奴もいるから。」 「『壁』か‥。」 壁とはどんなモノだろうか。何か宗教的なものだとしたらユダヤ教の『嘆きの壁』の様な感じかも知れない。郁方自身『嘆きの壁』について深い知識がある訳ではないし、むしろ其れが聖地であると云ことぐらいしか解らない。だがきっとそんな感じだ。壁に向かい忠誠の言葉を唱えさせられるくらいだろう。多少の疑問は残るが、そう思うことにした。 食堂で手早く朝食を済せた二人は昨夜サディの口にした『ホール』に向かった。魔方陣の在った部屋の近くの様に思うが、郁方は一向に此の建物の規模が把握出来ていなかった。相当大きいことは確かだ。 長い廊下を抜けると直径8m程の丸い踊り場に出た。12時、3時、9時の位置に其々厳めしいドアが在る。 「右が総帥の部屋、正面が壁に繋がってる。此処に来るときは常時正装って訳だ。」 サディが少し小声で云う。 「左は?」 「『紅の魔女』の部屋。入ったことはないけどな。」 そんな話の最中、ローズとフランクも登場した。二人ともやはり正装で、何処となく昨日とは違った雰囲気をまとっている。ローズは微笑み「おはよう」と云った。 「おはようございます。」 「おはよう、ございます。」 サディのよどみない返事にローズが眉を寄せることは無かったが、代わりにフランクがぼそりと呟いた。 「シェーマスがサディに敵うとは思えないしな。」 ローズも同じ様に思っていたのだろう、小さく溜め息をついてサディを見た。 「サディも一緒に総帥の部屋へ。どうせシェーマスに問い詰めたんでしょう‥?」 サディは肩を竦めたが、少し面白そうな表情をしていた。どうやら彼が郁方の正体を見破った(?)ことは二人共承知している様子である。 フランクは静かに瞬きをすると軽く二回、手の甲でドアを叩いた。ノック音がホールに木霊する。がちゃりと鍵の開く音がして、ドアはひとりでに開いた。 「シェーマス=ルアをお連れしました。」 「ああ。」 力強い老人の声が部屋の奥からする。低く、深く、よく響くが、艶めいたものは一切感じさせない声だ。 右の頬が疼いた。痛んだと云っても良い。部屋の中に入ると、祭壇の様な机の向こう側に老人が腰掛けていた。予想よりずっと小柄な初老の男。 魂魄取締協会 総帥 ファブリス=カーネリアン。 |