協会員の証だと云う止め具 は、月明りしかない筈の部屋の中で微かな紅い光を帯びている。郁方は其れを空に翳してぼんやりと夜の時間をつぶしていた。 横目で窓の外を見やれば白い月が二つ、皓々と輝いて己の存在を主張している。ふっと心の奥底に僅かに巣喰っていた疑問が解かれた。 「‥だから七〇〇年に一度なのか‥。」 006:双月 「要は魂の概念が解んないんだろ。」 分厚い本の山を抱えたサディが、溜め息混じりでそう吐き捨てた。郁方は無い脳味噌をフル回転させ彼の論理を理解しようとするものの、一向に解決の兆しは窺えなかった。 「魂の概念じゃなくて、其のエネルギーの変換ってのがさ。如何したら其の超越的なエネルギーが物理エネルギーになるのか解んない。」 「あぁもう‥論理は置いとこう。取り敢えず魂の存在を感じ取るのが第一歩!」 そう云われると、益々弱ってしまう。元々霊感が強い体質だった訳ではないし、如何感じれば良いのか郁方には検討もつかなかった。 そもそも此の止め具に飾り立てられた丸い硝子玉に、魂が閉じ込められていると云うが、そんな事が可能なのだろうか。更に其の魂のエネルギーを使って『魔術』を使うなんて、到底自分には適わぬことだと云う気がしてならなかった。 「魂の存在を実感する極簡単な方法。」 「?」 サディは巧い具合に荷物を片腕に預けて、茶化す様に人差し指を立てて見せた。 彼と同じ様に荷物を抱えた郁方の左胸に手を掲げる。サディの胸元の止め具の青い石が仄かに輝いたのと同時に、大きく心臓がひとつ波打った。いや、心臓が波打ったんじゃない。巨大な悪寒の様なモノがわっと湧き上げたのだ。うっすらと額に汗が滲んだ。 「今のは‥。」 「シェーマス自身の魂に圧力をかけたんだ。ちょっとだけな。」 ぞっとした。ほんの一瞬脳裏を過ぎったのだ ―― 魂狩が。 「普通は魔術だけじゃ大したこと出来ないから、何か武術を組み合わせるんだ。剣だったり、弓矢だったり。」 大量の本の行き先は資料室だった。中には3m近い本棚が僅かな通路を残して並び立っていて、其の通路にさえはみ出した本達が占領している。本の山の中には一人の女の子の影が在って、雪崩を始めている本と格闘をしている様子だった。 「クレス〜。本此処に置いといて良いのか〜?」 「おはよサディ‥ちょ、無リ‥」 力を入れてるせいなのか、女の子の声は図太くなっていた。クレスと呼ばれた彼女は横目で郁方の方を見ると目を丸めて、‥‥‥‥‥力尽きた。 「ぅぎゃ‥。」 「あ、潰れた。」 「潰れたって其れだけっ?!」 文字通り崩れた本に潰された彼女は短く嫌な声を上げた。何時ものことなのか、平然としたサディを尻目に郁方は急いで本の山を掻き分けた。本に人が埋もれるなんて、そんな漫画みたいなことが有るのか普通。 「平気‥?」 「青痣出来る‥。」 クレスは恐らく郁方よりも年下で、14、5と云った処だろう。不意に彼女は顔を上げて不思議そうに郁方の方を見返した。 「ありがとう‥。」 「?どういたしまして。」 彼女の疑問を察したのか、サディが散らかった本を乱雑に積み上げながら口を挟む。 「新入りのシェーマス。外務班だってさ。」 「残念。内務じゃないんだ‥。」 クレスは立上がり埃だらけになったマントを払って外向けの笑顔で郁方に向き直った。 「人魂課内務班のクレス=カーネリアン。よろしくね。」 「あ、よろしく。」 差し出された手を少し戸惑いながら握り返す。クレスは背こそ低かったが、しっかりとした物腰であった。 (カーネリアンか‥。) 赤の他人と云う可能性もなくはないが、まとう雰囲気からしても彼女は総帥の身内らしい。同じ様に薄茶色の髪で、瞳は紺色だ。 「此処の片付け?」 「本探してるだけ。でも片付けが必要みたいね。」 クレスは肩を竦めて足下の本を数冊広いあげた。埃が舞い上がって辺りが少し白む。崩れた本の大半はたっぷりと其の石灰色のベールをまとっているようだった。 「二人は?外務なのにこんな陰った処にいるなんて。」 「非番だよ。フランクさんに雑用押し付けられただけ。あ、俺の場合はシェーマスの指導も。」 「ああ、之ね。」 クスリと小さく笑って彼女は自分の胸元を指差した。サディの石は緑色だが、彼女のは橙に近い金色だ。重い本を手際良く棚に戻しながら、郁方は露骨に溜め息を吐いた。 「雑用なら未だしも。お手上げだよ、さっぱり。」 「誰でもサディみたいに早く飲み込める訳ないもの。」 彼女の云う処によるとサディはなかなかに優秀な人材らしい。ロビン(此方側に来て何度か聞いた名前だ。)と云う出世まっしぐらの青年がいるが、彼がそうなれないのは性格に些か問題が在るからだ、と。サディは年上にきっちり敬語を使う人間だが、あの無遠慮な物云いは不変らしい。本人を目の前にそう云うクレスも相当だが。 「クレス、話ズレ過ぎ。」 「あ、私褒めてるのよ?」 サディがそう云う意味で話を遮ったかは別にして、確かにクレスの話はズレ過ぎだと郁方も思った。 ―― 思いの他良く喋る娘だ。ファブリスはあまり饒舌 とは云えない人だったように思うが、彼女は正に其れだ。唯其の話声を不快だとは思わない。柔らかくすっきりとした声色は、ある種の才能かも知れない。 クレスは話の方向がズレていたことを自覚したらしく、空咳をして再び唇を動かした。 「文献なんかには大抵『エネルギーの変換』なんて書いてあるけど、私はそうは思わないの。 魂を失ってしまったら、どんなに身体が健康でも人間は生き返らない。だとしたら『生』自体が魔法で成り立つモノなんじゃないかって。其れだったら魂の魔力を『生』ではなく『魔術』に回すのだと思えば幾らか解りやすくない?」 ххх 此方側に来てから夜が長い、と思う。実際日の入りは随分早いだろう。此処はどうやら『白夜』の地らしい。今は秋だから、逆に日が短くなるのだ。 でも其れとは違う。太陽が出ていないから夜が長いのではなくて、皆が床につくのが早いのだ。夜通し街に明りが溢れている向こう側とは違う。夜が闇なのだ。当り前だが、初めて出会うモノだった。闇は時間の感覚を鈍らせ、夜の時間をより長いものにする。不快ではないが、偶に恐い。 郁方はベッドの上に腰を掛けてぼんやりと其の時間を潰していた。問題の魂とやらの入った硝子玉を掲げ、紅い輝きを見つめる。 横目で窓の外を見やれば白い月が二つ、皓々と輝いて己の存在を主張していた。 「‥だから七〇〇年に一度なのか‥。」 疑問に思った。何故朔が七〇〇年に一度なのか。 月が二つ在るなら納得が行くじゃないか。月が夜の空から姿を消すと云うことはつまり、一つめの月ともう一つの月と、惑星の影がぴったりと重ならなければならない。二つの衛星の周期も、軌道も区々なら三つが重なる可能性が低くなっても然りだ。 ―― 月にも魂が在ったりしないのだろうか‥? ふとそんな考えが脳裏を過ぎる。クレスの論理を借りるなら、星の運動、輝きこそ魔法のようだ。もし凄腕の魔法使いがいたとして、月の魂まで感じ取れるだろうか‥?いや、もしかしたら人間は皆感じているのかも知れない。故に魅かれる。太陽も、月も、何時の世も人は星に魅かれ続けている。星の魂が絶大過ぎて無意識に感じる。 手元の硝子玉に視線を戻した。其れは、月明りしかない闇の中で紅く輝いていた。今思えば不思議だ。まるで星じゃないか。そして自分は其の光に魅かれている。 瞼を閉じる。まだ魅かれていた。 手を離す。まだ ――。 「在るじゃないか‥其処に。」 思わず呟いていた。何故気付かなかったんだ。光を閉ざし、感触がなくても其の存在を認識している。しっかりとしたエネルギーが其処に在る。そして其れは確かに魔力なのだ。不確かで、壮大で、如何しようもなく魅かれる。 空を仰ぐ。月を見て微かに冷笑が漏れた。ほんの一瞬星の明り自体が魂なのではと思った。今まで絶対だと思っていた科学をあっさりと捨てた、自分に対する ―― 蔑みだった。 君達は互いに魅かれることを赦されぬ其の運命 を 孤独とは想わぬのだろうか |