彼は誰なのだろうか。 酷く整った美しい顔立ちに、特別高くはないがすらりとして、均整の取れた身体。嫌味なく軽やかな身のこなし。彼に注がれる視線は好意で在ったり、軽蔑で在ったり、憧れで在ったり、憎悪で在ったり、多岐にわたる。其れでいて彼自身其の視線に気付かないと云うことはないのだろうが、全く気に止める様子はないのだ。 綺麗な人だ。 郁方は朝の食堂でそんなことを思った。男相手にそんな考え、変な色が在るのではないかと云う気がして来るが、心からそう思うのだ。男だとか女だとかを総て取り払っても何等問題はない。そう云う『綺麗』だった。 「あんまりハマる と痛い目見るぞ。」 「サディ。」 朝食を乗せたトレーを持ったサディがそう云った。疑問符の代わりに肩を竦めてみせる郁方に、彼はあまり表情を変えずに先を続ける。 「ロビン=プラナス。ある意味協会内で一、二を争う有名人だよ。」 「あの人が‥。」 ハッとした。彼を見るのは初めてじゃない。あの日、魔法陣で此の世界に来た日に部屋にいた人だ。フランクの皮肉に唯ひとり笑った人だった。 サディは郁方の横に腰掛けパンを千切っている。黒パンだった。 「新人は大抵見とれるな。あの容姿じゃ仕方ないけど。あの人の場合声も綺麗だし、頭もキレる。まあ世に云う処の才色兼備って奴か。」 サディは紅茶を啜って扉の向こう側に消えるロビンを見ていた。扉の音の余韻が消えると、僅かに唇の端を吊り上げる。 「其れで?」 「ロビンさんはかなり性格が悪い。」 「うっわ。」 想像するだけでゾッとする。あの綺麗な顔と身のこなしで、辛辣で嫌味のたっぷり練り混まれた言葉の数々を相手にぶつけるのだ(しかも笑顔なんかで)。もしサディの云う通り彼にハマっている人間がそんな事をされた日には、精神的ダメージは想像するに余りある。出来れば其のダメージを受けるのは自分でないことを祈るばかりだ。 「因に人魂課内務班勤務。近々北支部 ―― ノルドゥに移動で支部の課長になるって話だ。」 「ああ、出世まっしぐらね。」 昨日クレスから聞いた話だった。確かに、サディの云った通りの人だとすれば「出世まっしぐら」と云うのも頷ける。 サディはパンを頬張りながら羊皮紙の束に目を通していた。細かな文字列が隙間無く表面を覆い尽くし、横から覗いただけでも息が詰まりそうだ。 「何見てんの?」 「ん、ああ。そう、今日の仕事。シェーマスも一緒に連れてけって話だから、今から説明すんぞ。」 あまりにも行き成りで、郁方は慌てて口の中のモノを飲み込んだ。後から何だか恥ずかしくなって、ゆっくりと一口紅茶を啜る訳だが。 「先週、首都 郊外で12人の崇拝者をコヴァン ―― 悪魔崇拝者の集会だなつまり。其の最中に取り押さえた。 コヴァンは普通13人でするモノだから、もう一人崇拝者が付近にいると考えるのが自然。其の残りの一人を引き摺り出すのが今回の仕事だ。」 ―― 引き摺り出す。其処に憎悪が込められていた訳ではない。唯背筋に悪寒が走った。 「宛てが‥?」 「当然な。えぇと、可能性が高いのは三人。 一人はラセット=ラッチ。此奴はかなり前から目を付けられてる、情報屋だ。今回捕まった中には姉夫婦が含まれてる。 二人目は其の夫婦の息子、ガラード=メーラ。まだ14だって書いてあるな。そうは云っても両親崇拝者で、息子だけ違うってのも不自然だし。 最後の一人はピエール=ボードリグール32歳。此奴もメンバーに身内がいる。1年前まで留学してたって話だ。」 其の三人を当るのが、今日の予定と云うことだ。 朝食を終えた二人は食堂を出た。食堂から正面玄関へと続く大廊下には、混沌とした雰囲気が立ち込めていた。 巨大な孔雀や鷲を連れた協会員の横を、資料を満載した台車が過ぎり、天井のステンドグラスから注ぐ光に連行された“犯罪者”が照らされる。廊下の両側には規則的に扉が並んで、其の隙間から偶に覗く情景はどれも奇怪だ。 廊下の先に見える正面玄関は、巨大な観音開きの扉だった。“巨大”と云う表現では到底足りない、そう云うスケールの扉だ。唯の飾りなのかも知れない。人は其の扉の一部をくりぬいた様な、其れでも十分に大きな入口から出入りしていた。 「あんまキョロキョロするなよ。馬鹿みたいだぞ‥?」 「馬鹿みたいでも、馬鹿じゃなければ良いよ。」 郁方は構わずキョロキョロを続けた。こんな ―― 云ってしまえば無駄な装飾を施した建築をまじまじと見るのは初めてだ。 悪くない。 「実際馬鹿しそうで怖いんだよ。変な処に入るなよ。」 一つの扉に顔を突っ込みかけていた郁方の襟首をサディはぐいと引っ張った。扉の向こう側には植物が溢れていた。 「痛い目見るぞ。」 「痛い目?」 「拷問室に迷い込んでも俺は迎えに行かない。」 ―― 拷問室‥?そんな物が在るのか。一瞬、先刻見た“犯罪者”の姿が脳裏を過ぎった。拷問だなんて、そんな‥。 郁方が横を歩く友人に聞き返そうとした時、協会中に男性の悲鳴が響き渡った。 辺りは一瞬静まり返って、其の短い沈黙の後、また何事もなかったかの様にざわめきを取り戻していた。サディの横顔を覗き込んでもさっきと変った処はない。 風に乗って、一つの会話が耳に届く。 ―― ロビン=プラナスは異常だ。 |