空は良く晴れていた。似たような民家が軒を連ね、不可解に道がうねる。 郁方は口を噤んだまま、地図と格闘するサディの斜め後ろを歩いていた。 ―― ロビン=プラナスは異常だ。 助けを求める様に、郁方は横にいる青年を見た。今の悲鳴は何だったのか。何故皆素知らぬ風にしているのか。ロビン=プラナスは何者なのか。其の疑問を彼が総て汲み取ったかは定かではなかったが、郁方の欲しかった答えをくれた。答えが欲しかった。残忍な事情が欲しかった訳ではない。 「協会 では二日に一回はああ云う悲鳴が響く。声の出処は“拷問室”だ。 拷問室は悪魔崇拝者に自白させる為にある。利用者は極僅か、俺だって出来たら近寄らない。かと云って、自白に時間を割くのは理想的じゃない。其れを理想的にこなす人材は云わばエリートだ。」 話の全容が見えた。そうか、だからか。 「ロビン=プラナスは正に其のエリート。拷問室に会員がいたらまず彼だと思って間違いない。あんな神経の図太い奴、そういないさ。」 髪の色は確か銀色で、瞳は澄んだ蒼色。あの美しい顔に暗い陰が落ち、冷笑を浮かべ、光の失われた目で悶え苦しむ“罪人”を見つめる。納得がいった。非情、なのだ。 「罪人だけど人だから、他の会員は静かに心の中で黙祷するんだよ。」 「殺してはないんだろう‥?」 「死んだ方が楽かも。」 大の男が、あんな醜い声をあげるのだ。どれ程の苦痛なのか、少なくとも郁方には知れぬ程の。 ―― そんなことをするんだ。『協会』は世の中の嫌らしいモノ総て任せられているのではないかと云う気がした。無論、総てではない。唯人間の行いは如何しても宗教に繋がることが多い。宗教 ―― 其の内の邪教に密接する仕事なので在るから、国の暗い部分に多く関わるのは然りだ。こんな暗い陰は、見たくない。 信教で善悪が決るなんて。 「ローズさんの云うことが、解らなくなった‥。」 「え‥?」 彼女は忠誠を誓えと云った。彼女が最も憎むだろう残酷で、理不尽な協会に。 「誰の処へ?」 「Mr.ボードリグール。死期が近そうな人から。」 緑の豊かな処だった。白い柵からは奥様方が精を出して整えた美しい庭先が顔を覗かせる。似た様な町並みが、延々と続いた。同じ外装の建物、良く整えられた庭、広がる牧草地、時折顔を覗かせる風車、人通りのない道。 ボードリグール宅は外装の雰囲気こそ他の家々とさして変わりないのに、一軒だけ妙にでかかった。昼間だと云うのにカーテンは総て閉められていて中の様子は窺えない。確かに豪勢な建物な訳だが、庭はと云うと季節の色に乏しく緑ばかりが整然と並んでいた。 「ボードリグールは未婚?」 「ご明察。」 獅子の形をしたノッカーを鳴らす。鈍く、其れでいて良く響いた。 短い沈黙の後、ドアを開けたのは13、4歳の少年だった。不思議な瞳だ。人間の其れとは何処か違う、だが見覚えのある‥。彼は明るく微笑み、執事の様な動作をしてみせた。 「協会の方ですね。どうぞ。」 少年はジル=マクナリーと名乗った。ピエール=ボードリグールとは親子と云う訳でもないのか。郁方は先刻の会話も忘れて、ぼんやりとそんなことを考えながら階段を上った。ボードリグール氏は二階の書斎にいると云うことだった。 「ピエールさん。協会の方がお見えになりました。」 二回のノックと適当な間の後ジルはそう口にして書斎のドアを開けた。インクの匂いがする、其れこそ資料室の中の様に。 「ああジル、有難う。ピエール=ボードリグールです。わざわざこんな田舎までお越し頂いて‥。」 ピエールは言葉を其処で切ってサディと握手を交した。郁方とも。彼は年よりも多少老けて見えたが、しっかりとした体付きでエリートらしい風貌だった。ほんのりと頬が赤く染まっていた。 サディは自分と郁方の名乗りをして、取り調べを快く承諾してくれたことに礼を云った。ピエールがソファーに掛けるように促して、自分も正面の一人用のソファーに腰を落ち着ける。ジルが紅茶を入れてくれた。 「付かぬ事をお伺いしますが、お二人はご家族でいらっしゃるのでしょうか?」 「ああ、いえ、変な話ですが彼は友達のようなものでして。一人身の私を見かねて偶に遊びに来てくれるんですよ。」 「仕事なんです。」 ジルが平然と云った。 仕事だって?一体何の仕事だと云うのだ。ピエールは咳き込み紅潮して、サディは動じず「ああ」と納得の声を出した。郁方は助け船を求めるように彼の方を見たが、サディの方は郁方が“仕事”の意味を理解していないなどと夢にも思っていないらしく、結局助言はくれなかった。 「まったく、子供は人をからかう事ばかり早くに覚えて行く‥。」 「冗談じゃなかったとしても僕は別に貴方を其れで捕まえたりはしませんよ?給料出ませんしね。」 何となく和やかな空気が満ちていた(話の内容は察するにかなりシュールな筈なのに)。 「其れともう一つ。カーテンをお開けにならないのには何か理由が?」 「え?ああっ!!協会の方が来ると思うと今朝は朝から気が気でなくてね。ほら田舎ですから、あまりそう云う機会がなくて。すっかり忘れていた。」 カーテンを開けるのを忘れるなんて、相当だ。カーテンを開けると、部屋の中は驚く程明るくなった。窓の一つひとつが大きく、書斎には勿体ないくらいの日当りの良さだ。 其の後も、サディがいくつか質問を続けた。留学先 ―― 海を挟んだ向うの国や最近始めた魂屋のこと、捕まった身内について。魂屋とは魂師から魂の売買を依託して行う職だと云う。合法。 「そう云えば今回の騒動の‥容疑者と云うとおかしな話ですが、私の他にも二人くらいいましたよね?」 「ラセット=ラッチとガラード=メーラですね。これから向うつもりです。」 「でしたらガラード=メーラの方を先に。彼はきっと崇拝者などではない。早く無実を証明してあげて下さい。両親がそうだと知れて、只でさえ傷付いてる。」 「随分親しいご様子ですね。まさか彼も‥」 「違いますよ‥!ガラードはジルの親友なんです。」 ジルは伏目がちに小さく笑みを作った。「紅茶のお代わりは?」と丁寧に聞く。三人とも断った。 「ボードリグールさん、貴方はハズレ みたいです。」 |