駆け付けた彼の表情を見て、不謹慎ながらも少し嬉しく思った。悔しそうで、泣きそうで、怒っていて。痛々しい傷口(実際痛いのだが)を見つめ「悪い」と枯れそうな声で小さく呟く。直感は馬鹿に出来ない。彼を信用したのは、失敗じゃない。

「有り難う御座いました‥。」

 サディはしどろもどろするルードに向かって、片膝を付いた。



012:立場



 ―― こんなの、使いこなせなければ何の意味もないのに

 包帯でぐるぐる巻きにされた肩をかばいながら、郁方は自室のベッドに腰掛けてフィブラを見つめていた。
 自分の身くらい自分で守れるものだと信じていた。こんな物に頼らなくとも。喧騒が弱い訳じゃない、むしろ良く売られるせいで普通よりは幾らか強いぐらいだ。でもそう云うレベルの話じゃなかった。手足が動かない ―― 何か得体の知れない物が存在するんだ、この世界には。
 ある意味、今自分の手の平の中にある物もそうなのだが。

ガチャッ‥

 げっそりした面持ちのサディが、ドアを開けた。其のまま足を引き摺りながら前進し、ベッドにダイブ。

「何処行ってたの?そんなに痩せて。」
「痩せてない。やつれた。」
「で、やつれて如何した?」

 一瞬黙り、埋めていた顔を持ち上げる。結局仰向けに体勢を直しただけで、またベッドに横になった。額に腕を乗せて、ごく当り前のような声で。

「総帥、課長、外務班長、内務班長みんなお揃いでお説教だよ。之ぐらいで済んで良かった。」
「はぁ?お説教?」

 本気で訳が解らないと云う様な声の郁方に、サディは腕をずらし横目でそちらを見る。

「我らの王様は如何にも自覚が足らない様だ‥。俺がシェーマスの事を知っていて、二人で仕事に行く。其れも別に俺は新人でも何でもない。  だとすれば必然的に俺は王様を守らなきゃいけない身な訳だ。」

 長い溜め息。ギシッとベッドが軋み、短い沈黙が流れた。そんなの‥。

「俺だって後から聞かされた訳じゃないし、解ってたけど。‥‥いきなりこんな風になるなんて、考えが足りなかった‥。」

 サディは上体を起こして、真剣な顔で郁方の方を見た。唇をおしひらいて、

「頭なんか、下げないでよ‥?」

 今にも謝り出しそうな彼に、郁方が咄嗟に云う。
 守って欲しいとか、思っていない ―― 嘘か、其れは。確かに助けて欲しいとは思ったのだ。でもそうではなくて、身を危険に晒してまで自分の為に尽くさないで欲しい。命令なんか無視すれば良い。誓いなんか立てなくて良い。只の我が儘だけれど、自分が傷付くよりも目の前の誰かが傷付く方がずっと嫌だ。

 思ったことが顔に出たのかも知れない。サディは哀しげな笑みを浮かべた。



ххх



 協会の前の広場で、鳩と戯れる子供たちに混じって時間を潰す。肉体労働の出来ない外務班員なんてカス同然で、しばらくの間非番と云うことになった。郁方は何をするでもなく只空を眺めていた。

(暇だ‥。)

 不意に視界に黒い影が映る。四角い厚手の羊皮紙だ。

「ぃって。」

 其れでベシリと額を叩かれ、思わず声を上げる。見れば後ろにいたのはサディだった。昨日とは別の ―― 目の下に隈をつくる様なやつれ方をしている。

「皇帝陛下殿。昼、如何する?」
「んー‥良いや。何にもしないと全然腹減らない‥。」

 「あ〜‥」と締まりのない奇声を発する郁方に、サディは声を上げて笑った。何か皮肉ろうとしたのかも知れない。唇を半分開いて、不意に其れをやめた。視線が、協会から城下街に続く道へ注がれている。

「ん?」

 其れに気付いた郁方も、彼と同じ行動を取る。辺りをきょろきょろと見回す少年が一人、聞こえない声で「あ」と漏らしているのが見えた。こちらに気付いた様子で、小走りで近寄る。

「ルード‥?」
「こんにちは。」

 一見そうでない顔立ちに、利発そうな笑顔を浮かべる。目元には、泣きはらした後がほんのり残っていた。

「協会に用事でしたか?」とサディ。
「あ、いえ、用事と云うか‥。」

 ルードは視線を泳がせ、ばつの悪そうな顔をする。何故其れで解るのかは謎だが、サディは口の端に笑みを浮かべて郁方の黒髪の上にぽんと手を乗せた。

「ウチの新人なら非番だからご自由に連れてって下さい。あなたには借りがありますし。」

 真面目な口調の割に、何処かふざけている雰囲気が滲む。彼はニッコリと笑って、郁方のポケットにナイフを滑り込ませた。そして本当に小さな声で「自覚しろよ。」と囁く。

「俺は仕事が残ってるから之で。」

 軽い会釈を残し去る彼の背中を、郁方は複雑な感情で見つめた。呆れと関心と、本の僅かな悪寒と。

「ルードって14だったよな‥?」

 唐突な質問に

「え?あ、はい。」

 慌てて答える。

「じゃあ互いに敬語はなしで。」

 「じゃあ」の意味に疑問は残るが、取り敢えずルードは頷いた。
 郁方が伸びをして「リストラサラリーマンの気分だ。」とぼやくと、「リストラサラリーマンって何?」とすかさず突っ込まれた。

「シェーマス‥実は話があって来たんだけど‥。」
「ん、ああ。」
「出来れば協会の前じゃない方が嬉しい‥。」

 郁方は一瞬眉を潜めルードの顔を見返した。ルードはやはりばつの悪そうな顔のままで、其れでも真剣に後を続ける。

「協会の人に聞かれると、あんまり印象良くないから‥。
 物凄くお節介なことを云いに来たんだ。」





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制作:06.06.17
UP:06.07.04