遥か彼方から魔女が来た 若く美しい魔女が来た

魔女は悪魔と手を結び 大地と我らを救いたもおた

清く美しい大地には 平和と悪魔が取り残された

サン=ジョヴァンナ サン=ジョヴァンナ

遥か彼方から来た魔女は 平和と悪魔と意思を残して

サン=ジョヴァンナ サン=ジョヴァンナ

魔女の意思を継ぐ二人の王よ 印を背負いし悪魔の子等よ

汝 辿らん意思の軌跡を


―― ネウトゥロ東部民謡



019:騎士



 僕の祖母は魔女だった。魔法の呪文を知っていて、妙薬の調合を職人の如くこなす。いつも古い民謡を口ずさみながら魔方陣を編み上げる。暖かい毛糸の帽子を僕に被せて、

「もし王が繋がれていたら、お前が逃がしてあげるんだよ。ガラード‥。」

 「ガラード」って名前を付けたのは祖母だ。「サー・ガラハット」は其の揺るぎない忠誠心と純真な魂で、王に仕え、支え、導けと。
 王なんて知らない。僕は伝説の騎士なんかじゃない。呪いの剣に手を伸ばすこともなければ円卓に座ることもない。だから、僕は、「ガラード」ではいられない。



ххх



 朝焼けに染まった空が、窓枠の内側に広がっている。
 如何して彼に惹かれるのかと問われれば、恐らく答えることも叶わないだろう。理由なんて必要ない。血潮に染み込んだ祖母の想いが、そうさせるのだと思う。

 やるべき事は、ハッキリしていた。



「ルードは‥まだなんだ。」

 郁方は目覚めたばかりの頭を抱えて、応接間に顔を出した。応接間には一足先に朝食を始めたパオロと、後の二人の朝食の準備を進めるアダムスの姿があった。フランスパンのトーストと薄切りのハム、チェダーチーズなんかがテーブルを彩っている。

「昨日は随分疲れている様子でしたから、存分に寝かせてあげましょう。育ち盛りですしね。」

 パオロの物云いは一々必要に大人びている。ある意味至極彼らしく、見方を変えれば老けているとも云えた。そんな彼の言葉を遮り、アダムスが不意に別のことを口にする。

「明日の夜は恐らく新月となりましょう‥。シェーマス君は“運命の石”がどんなものかご存じかな?」

 ―― 運命の石に選ばれし無垢なる魂の騎士

 “騎士”を選ぶのが運命の石だと教えられた。ただ石が口を利く訳はないのだし、其処に名が刻まれているのならもっと話は早い筈だ。郁方は朝食の並ぶテーブルの前に腰掛けて、首だけを横に振る。

「運命の石と云うのは、古代とある国で王を選ぶ為に用いられた戴冠石なのです。
 石は王となるべき者が触れたとき、耳を劈く程の悲鳴をあげる。石を叫ばせた者だけが王になれるのです。」

「‥あのサラストロの‥花の刻印の在った石が、そうなんですね‥?」

 唐突にそう問うたパオロの声は酷く低く落ち着いている。アダムスは感心したように微笑み、ゆっくりと頷いた。

「パオロ君は、随分と物知りな様ですね。」

 アダムスが紅茶のお代わりを進めようとポットを持ち上げたが、郁方の其れは一滴も減っていない。パオロの方も似た様なものだ。行き先を失ったポットは、もといた処に再び腰を据える。

「ガラード君はあれに随分興味を持っている様子だったけれど‥運命の石は諸刃の剣なのです。
 騎士となり力を得るか、呪いで命を落とすか。石に触れた者の行き着く処は、どちらかの他にないのです。」


「彼は、何方でしょうね?」


 二人の表情は僅かにも歪むことはなく、先刻と何も変わらず朝食の時間を消化していく。
 手の中の銀のフォークが次第に熱を帯び、生き物の様な体温を持ち始める。其の金属を介した熱は再び郁方の指先に戻り不可解に軋む心臓を冷やかしたりするのだ。

 どうして彼ばかり?
 お前のせいだと何故解らない。

 郁方は椅子を後ろに蹴っていきよい良く立ち上がった。フォークをテーブルに戻して、踵を返して。駆け出した彼の背中を見る二人に、特別な感情はない。ただ不意にアダムスが唇の右端を持ち上げて蔑むのだ。

「我等の王は、実に慈悲深いお方だ。」



 何故彼を傷付けたくないと願うのか、問われれば答えることも叶わないだろう。ただ彼に之以上の重荷を背負って欲しくは無いと、切に思うのだ。
 キミは騎士にならなくて良い。之以上辛い思いなんてしなくて良いんだ。ましてや死ぬだなんて、そんなこと‥。

 石畳を叩く郁方の駆け足の先にルードの後ろ姿が在って、其の指先の触れる位置にあの忌々しい石塊がある。間に合う筈がないのに、現実から逃げ出したくて耳を塞ぐ。

 耳を劈く悲鳴は、砂漠の風を巻き込んで。



 明日の夜は新月だろう。勝ったのは魔女だ。




一章 運命の石 終

menunext
制作:07.01.08
UP:07.01.08