「神も仏も、悪魔や天狗でさえ、依存心が具現化した人間の負の面でしかない。元を辿れば同じものに必要に対立を強いた過去の信徒たちは、ただの戦好きだっただろうか。 四次元で構成されたパズルは難解である。人間もまた其れに近い。 之程に面白いゲームが、他にあるだろうか。」 020:中立者 砂に呑まれ始めた郊外にさえ、宴の濃厚な空気が漂っていた。昨日辺りから国中で不可解な殺人事件が多発していると云うのに、町の人間の顔はどの人も普段より明るい。其の殺人と対立する速報が、一番の理由だった。 ―― 騎士様がご帰還なさった 何時の世も騎士は帰還するものらしかった。まるで昔から其の人が騎士で在ったかの様に、昔から変わらず力を有しているかの様に。 町の終わりを意味する門の脇には、砂埃に顔を歪めフードを深々と被ったクレスが待っていた。濃いくまを作った彼女からは、以前逢ったときのようなハツラツとした空気は伝わって来ない。ただ柔らかく微笑んで「お帰りなさい」と。 「お初にお目にかかりますガラード卿、クレマンス=カーネリアンと申します。お逢い出来て光栄です。」 礼儀正しく頭を下げるクレスにルードは居心地悪そうに曖昧な返事をした。普段そうとは感じさせない彼女も、こう云う処は間違いなく総帥の一人娘だ。 「ウィリアムズとシェーマスはムーロを連れて正面から、ガラード卿には私と別のルートで協会に戻って頂きます。」 街は浮き足立っていた。子供たちにジャンヌの昔話を語り聞かせる老婆や、日の沈む前から酒を仰ぐ男性。終いには何処で覚えてきたのか表に国旗を掲げた家さえ見えた。 ―― 俺は石の叫び声を聞いたぞ‥!!神々しい、気迫に満ちた声だった。もう魂狩なんかに怯える必要はない!!騎士様がお戻りになった!―― 誰かが叫んでいる。 協会の前の広場は云うまでもなく人でごった返していた。ムーロを連れた協会員を見つけるやいなや、大勢で取り囲み騎士の正体を探りまくる。王や騎士の素性を公表しない協会のやり方が些か不満な様だった。 「騎士様はどんなお方でしたか‥?」 老婆が郁方の左腕を掴んで喜々と問い掛ける。回りの若人たちも「そうだ、お逢いになったんでしょう?」と必死だ。 郁方は言葉に詰まった後で苦笑して、 「‥真っ直ぐな人です。」 ―― しなやかで真っ直ぐな、自分の何倍も心の強い人です。 不意にひやりと冷たいものを感じて、郁方は人込みの中を見た。彼を見つけるのに時間が掛かる筈もない、ロビン=プラナスがこちらに向かって闊歩している。 「お帰りパオロ、ルア。砂漠を行くのは骨が折れただろう‥?」 相変わらずの顔立ちに相変わらずの声だった。群がった人達さえ、道を譲りぼんやりと彼を見つめた。 「ご心配には及びません。協会も随分忙しかったのでは?」 「そうだね‥。」 ロビンは真っ直ぐ郁方を見据えて、不敵な笑みを浮かべる。小さく肩をすくめて。 「ルアは相変わらずだ。」 ロビンは綺麗な顔のままで老婆の襟首を引っ掴んだ。ローブの襟で其の首が閉まる。老婆の手は郁方を掴んだままだ。 「キミも相変わらずだ。髪を染め直したらどうだい?」 「何を云ってるんですか?」 郁方がロビンの腕をキツく握り締めると、呆気なく老婆は開放された。息を切らせた彼女は、郁方の腕に縋りつく。辺りがざわめいた。 「彼 の資料をサディに渡したから、ルアも名前くらい知ってるだろう。 ラセット=ラッチの顔を見るのは初めてかな?」 先刻の手荒さとは対照的に、ロビンは酷く壊れやすいものを扱う様に老婆のフードに手を伸ばした。彼女の顔が現れるのと同時に郁方の腕は開放され、老婆の固く曲がった腰が伸びて行く。幸のない口許にさえ、笑みが浮かんだ。 「久しぶりだラセット。わざわざ何の用だい?」 すくりと其処に立つのは、鮮やかな赤茶色の髪の青年だった。中性的で特徴に乏しい、其れでいて整った顔立ち。背は低く身体は細い。 「綺麗なまんまで安心したぜロビン、老けていくのを見るのが楽しみだ。」 「質問に答えてくれないか?誰に頼まれた?いや‥誰に呼ばれた?」 たった今迄老婆だったラセットは、心底つまらなそうに肩をすくめた。横目でちらりと郁方を見て、面白い玩具を見つけたみたいに唇をつり上げる。 身体の前に右腕を、恭しく頭を下げた。 「こちらの魔女様のご命令により参上仕りました次第です。」 ラセット=ラッチは郁方の顔を見て、優しく微笑む。 ―― さあゲームを始めよう。 貪欲な中立者は楽しむことだけを。 |