「良くぞお出で下さいましたサー・ガラード」

 髭面の老人は低い声で丁寧にルードを迎え入れた。思っていたよりもずっと小さく、ずっと強壮な空気を纏う。

「クレス、お前は下がっていなさい」
「……解りました」

 ルードは事務的な会話をする親子を、不思議な心持ちで見た。この二人が親子らしい接し方をする時間が存在するのか、しないのか。そんな余計なことばかりを考えている内に、少女の姿は部屋から消えていた。

「ガラード卿、貴公に訊いておかなければならない事がある」
「……はい」

 生唾を飲み込む。そうさせる空気がこの老人にはある。

「例え貴公の思う正義と食い違っていようとも」
「…………」

「例え何が在ろうとも、我らが王に従順であると誓い下さるだろうか」

 窓が開いている、夜風が頬を撫でた。


023:対峙



 石の壁で囲われた部屋の空気は、重く冷たい。喩え四方を囲うのが木や漆喰であろうとも、この重さや温度は変らないだろう。そう、「彼」に似ている。

「出来ません」

 郁方が戸惑いを押し止どめて口にした言葉は、たったのそれだけだった。小学生が算数の時間に「解りません」と一言で片付けてしまうみたいに。「出来ない」のではなく、「やりたくない」と。
 小学校ならそれで良かったのに。

「……そう。なら僕が殺そう」

 ロビンは当たり前にそう云って、いつもの様ににっこりと笑った。
 「想いは音にすると一層強くなる」魂の扱いを教わったときに、サディから聞いた言葉だった。魂の「エネルギー」を使うには、その存在を認識してひたすらに願うことが必要とされた。心の中の想いで足りぬなら、口にだして命じろと。そうすれば魂は応える。
 彼は声に出して「殺そう」と云った。想いよりも強い意思で。後退り、精一杯に睨み返す。どれだけ願ったのなら、この空間から逃げ出せるだろう。若しくは口に出したのなら、叶うだろうか?

 ロビンが取り出した果物ナイフは、とても人殺しの為の道具とは程遠い。ただ無抵抗の人間の喉を切るには十分過ぎて、磨かれた白刃は一層にその存在感を主張していた。先日のことがデジャビュの様に頭を過ぎる。
 刃はその矛先を銀の髪へと向け、

「……!」

 刃はロビンの首筋にぴたりと添えられ、今にもその白く柔らかな肌を切り裂こうとする。いつ赤い筋が流れても可笑しくなかった。

() が戦を放棄すると云うのは、こうゆうことだよ?
 君以外の誰かが、確実に死に至る」

 笑ったまま言葉を紡ぐロビン。郁方の中で、理不尽な怒りと衝動がふつふつと湧き上がっていた。

(ただのエゴかな……)

「結局君は人を殺すはめになるんだ」

 ロビンの言葉が全て音になる前に、郁方は大きく一歩を踏み出していた。掴んだ相手の腕は細く非力で、更に握り締めれば呆気なくその手のナイフを放棄した。
 金属が石の床を叩く。

「やっと『戦』をする気になったかい?」
「…………」

「そう」
「痛っ…!!」

 馬鹿にした様な微笑みの直後、世界が回り、床に打ち付けられた。恐らく腕を掴み返され、捻りを加えて投げられたのだろう。ロビンに?あんな細い腕で?郁方だって、決して軽くなんかない。
 ロビンに?あんな細い腕で?考えていた自分が馬鹿みたいだ。ロビンは郁方の目の前で、あの巨大な石の椅子を易々と持ち上げている。片腕で、いつもの笑顔で。

「避けないと死ぬよ?」
「ぅわっ…!!!」

 間一髪、飛び退いた元の場所をえぐる石の塊。

「面白いだろう?勿論僕の腕力で振り回してる訳じゃないけどね」

 悠々と語りながらも拷問椅子はぶんぶんと空を走りながら郁方に向かって来る。ときに床や壁をえぐり、ときに郁方頭やら腕やらを掠り。
 逃げながら必死にロビンの姿を視界に捕らえたが、彼が魂の力を使っている様子はない。フィブラの石は静かなまま。

「最近の学者は調べる気すら無いみたいだけどね、『古代魔術』と云うのもあながち馬鹿に出来ないだろう?
 まぁ原理は僕らの使っている魂魄の術と変らないんだけど」

 軽々と、あの恐ろしい塊を振り回してはいるが、彼の手付きは「戦闘」と呼ぶには余りに拙い。先刻のフランクの姿を思えば、ロビンが内務(・・) 班員だと云うのに納得がいった。
 肩が自由に動けば、振り回している物があんな巨大でなければ、郁方だって。

(普通のケンカなら負けないだろうけど……)
「『マナ』と云うエネルギーを使うんだ。マナは魂と違って生物以外にも存在する力で、それこそ石や空気にも在る。
 僕は生物のマナが『魂』に相当するんじゃないかと思っているんだ。誰も調べないから本当の処は解らないけどね」

 戦いの術とは別に、言葉の方は微塵の乱れも無く悠々と紡ぎ続ける。彼の本職は、多分こっちなんだろう。
 避けるのは難解ではない、問題はその後だ。片腕が動かないと云うのは、こんなに不便なものだろうか。バランスか ―― 何の芸もないが、多分一番効率的だろう。

「『古代魔術』にはマナを使う通常魔法と、異界の生物の力を借りる召喚魔法が在るんだ。
 古代、通常魔法は誰でも使えたみたいだけど、召喚魔法は限られた人間にしか扱えなかった。元よりリスクの高……!」

 椅子を振り回したすぐ後。ぐぃと右足を踏み込んでその懐に入り込む。胸ぐらを掴み続いて左足を相手の横に、

「くっ…!」

 掴んだ襟ごと肩を押して、揃える右足で彼の足を思い切り払う。
 ―― ロビンはバランスを崩して、呆気なく倒れた。彼の身体が床に打ち付けられる音が、拷問椅子の轟音で書き消される。反動で倒れたのは椅子だけではなくて、結局郁方も仰向けのロビンの上に馬乗りになって痛い思いをした。息が切れる。
 襟から放した手の平で、先刻刃を添えられた白い首を押さえて。

「まだ話の途中だったのに」

 ロビンの方はあまり痛い思いはしないで済んだのか、また何時ものポーカーフェイスを装っていた。残念だなんて微塵も思っていないような顔で「残念だよ」と嘆く。

「……『戦』は、俺の勝ちです…。貴方の、生死を決める権利は…俺にあります」

 息が切れる、肩の痛みがじわじわと復活している。

「誰も、誰にも(・・・) 殺させない」

 誰かを傷付けることから逃げて、結局大切な人を傷付ける。戦争をしているのだから……。
 逃げちゃ駄目だ、人を傷付ける為に此処に来たんじゃない。戦争をする為に此処に来たんじゃない。なら、何の為に……?

「それが君の答えかい?」

 終始ロビンは微笑みを崩さないまま、ただ始めの冷たさだけは薄らいでいる様だった。



ххх



「それが貴公の答えか?」

 押し黙ったままのルードに、ファブリスが静かに云った。沈黙は恐らく肯定よりも否定の意味を強く含み、「王」への反抗を意味する。

「望んで騎士になっておきながら、王には従えぬと?」

 上手く言葉が紡げるだろうか。「協会」に従わなくてはいけない道理は解る、でも媚びたくはない。

「俺…私は、シェーマスを助けたいと思います。でも彼はそれを望んでいる訳じゃなくて……」

 何の為に此処にいる……?世界を救う為か、敵をやっつける為か。どれも違う気がした。

「例えシェーマスが私に『騎士』を辞めろと云っても、素直に従えません。総帥のおっしゃる様に、私は自分の意志で騎士になりました」

 相手の表情を窺っても、自分の言葉が正解かどうかが解らない。どうか正しく紡げていてくれ、どうか正しく伝わっていてくれ。

「だから、従順には(・・・・) 従えません。自分の正しいと思う方法で、自分の考えで彼を守りたいと思います」

「……エゴイストだね、実に押し付けがましい」

 痛い。正しく辛辣で、身をえぐる言葉だ。

「ガラード卿」

 名前を呼ばれて、うつむいていた頭を上げる。目の前の老人は想像以上に小さく、

「協会は貴方を『騎士』として歓迎致しましょう」

 柔らかな笑顔を浮かべる。


―― 運命の石に選ばれし無垢なる魂の騎士
―― 騎士は王の身を護り
―― 新たな道を拓かん





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制作:07.12.20
UP:07.12.23