漂うのは濃厚な酒の香り、熱気に混ざる殺意。落ち着きのない人々がどこか不敵な笑みを浮かべ、互いに杯を酌み交わす。
 途切れることのない祝いのざわめきに、朦朧としていく意識を任せて。

 貴様の気の済むまで、己の信じんと望む神を讃えよ。
 “仰せの侭に”と其の身を捧げよ。


024:宴



「心配しなくても、もう石の椅子なんか振り回さないし、ナイフで自分を傷つけたりしないよ。あれらは精神を削る重労働だからね」

 そんなことを云いながら、ロビンはいとも簡単に郁方の束縛から逃れてみせた。投げられたときと同じように、抵抗する僅かな時間さえない。

「着替えて包帯を巻き直したら、君も宴に参加すると良い。食堂で飲めや歌えの大宴会だよ」
「……人が、沢山死んだんですよね…?」
「だからこその宴さ。悲しみに埋もれると身動きが取れなくなる」

 ―― 新月のサバト。悪魔崇拝者最大の祭典に捧げられる無数の屍。沢山人が死んだ。今夜はもう、誰も死なないだろうか。
 ロビンは当たり前に崩れた制服を正し、いつもの小綺麗な装いに戻っていた。拷問椅子も元の位置へ ―― 壁や床ばかりは傷付いたままだったけれど。

「ロビンさんは、俺に何をさせたいんですか?」

 行われているのは単に宗教行為ではなく、人間の死ぬ戦争であると云うこと。自覚を持たなければ、郁方以外に危害が及ぶこと。云いたいことは何となく解る。でも本当に、それがこの人の望みだろうか……?戦争をすることが、戦争に勝つことが?

「そうだな。人にものを尋ねる前に、自分で考えることを覚えてほしいね。得た知識を利用する力だ。
 ……僕は宴に行かないから、存分に楽しんでおくれよ」

 明確な答えは得られぬまま。

「よい夜を」

 ロビンは郁方を一人残して、拷問室を後にした。肩の傷が痛む。顔や腕にもまたかすり傷ばかりこさえて、何だかいつも傷だらけで小汚ない。
 誰もいない部屋の中で、郁方は自嘲的に笑った。その笑い声が嫌に尊大で、何か別の人格が笑っているようですらあった。



ххх



 宴の賑やかな空気が、冷たい牢獄を侵蝕し始めている。
 こんな夜でもその地下は機能を失わず、罪人とされる人間を縛り続ける。宴の夜に地の下にいるのは繋がれた赤い髪の青年と、中年太りの監守。監守の方は椅子にのけ反りかえって大いびきをかいているし、牢の中の人は醜悪な表情で親指の爪を噛んでいた。冷たい地下に冷たい人間ばかり集う。
 嫌な音がして爪が噛み切れたのを合図にしたように、ラセットは乱暴な手付きで唐突に鉄柵を鳴らした。驚いた監守が肩を震わせて飛び起きる。

「な、何だ?!……?…ちゃんといるじゃないか、今日はまだ新月の日だよな?俺は起きてるよな?」

 最後の方はもう支離滅裂で、聞いている方が腹が立つ。救いようもない人間ばかり。
 不意にくすくす笑いが聞こえた。牢獄に不釣り合いな、澄んだ綺麗な「くすくす笑い」。

「チャールズ、少し疲れてるんじゃないのかい?」

 姿を現したのは、やはり牢獄に不釣り合いな輝く銀色の髪。声も姿もその身のこなしさえ、どれもこの暗い部屋とは正反対だ。

「ロビンくん……」
「宴に参加してきたら如何ですか?見張りは僕が変りますから」

 ロビンの急な登場と申し出に、チャールズと呼ばれた監守はぽかんと口を開けた。まだ良く働かない頭でようやく言葉の意味を理解して、今度は少し慌てた素振り。

「いや、しかし……」
「大丈夫ですよ、間違っても逃がしたりしませんから」

 そんなことを心配しているのではないと、解っているからわざとそういうことを云う。本当に性格の曲がった人間だ。
 チャールズは年下の青年に何度も頭を下げて、低い姿勢のまま階段を上がって行った。ロビンはそれを「造り笑顔」で丁寧に見送る。だからと云って彼の造り笑顔以外の笑顔なんて、悪寒がするようなものばかりだから。
 振り返ったロビンと必然的に視線が合う。久しく抱いていなかった感情を覚えて、

「アンタがあんなじじいに気を使うなんざ、どうゆう風の吹き回しだ?」

 疑心と皮肉を込めて吐いた言葉。
 造り笑顔のロビンの手には種類の違う酒瓶が二本。抱いたのは懐旧の思い。

「君への『報酬』だよ。あんなむさ苦しいのと一晩過ごさせるだなんて、あんまりな持て余しじゃないか」

 鉄柵の間から差入れられたのは、褐色の瓶―― ウイスキーか。彼の手に残った方はほとんど黒く、恐らく葡萄酒だろう。
 今度は造り笑顔ではなく、珍しく悪寒も誘うことのない微笑み。

「久し振りに一緒に飲もうラセット」

 夜は更け。



ххх



 漂うのは濃厚な酒の香り、熱気に混ざる殺意。落ち着きのない人々がどこか不敵な笑みを浮かべ、互いに杯を酌み交わす。
 途切れることのない祝いのざわめきが、幼い声に制された。

「善くぞ集まって下さった同志様方。」

 黒髪の少女が舞台の上で頭を下げた。十か十一かそこそこの幼い外見に反して、酷く落ち着き強固な雰囲気をまとう。声の響きさえ子供の出せる範囲ではない。

「此の世に生を受けるより遥か昔から焦がれた此の日が、今こうしてやって来た。我々は酷く恵まれている。今日の日を生きた状態で手にし得るのだから。」

 仮面にその素顔を隠した参列者たちがニヤリと笑む気配がする。互いに顔を見せることもなく、互いに顔を見せる必要もない。ただ同じ場所に、同じ目的を持って存在するだけの、人間の塊。

「今宵は月の目も届かぬ。汝が思うままに、信じんと望む真の神を讃えよ。」

「羅目候の晩餐に、ようこそ。」

 巨大な地下の大聖堂に歓声が木霊した。




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制作:08.01.03
UP:08.01.08