「ねぇサディ、シェーマス達を見た?」 宴の席で杯に手を伸ばしかけた弟に、不意にローズが声をかける。止まった手の先の酒は、先輩の会員がひょいと持って行ってしまった。 「いいえ、見てませんけど」 「そう?戻って来てるとは思うんだけど、誰も食堂に顔を出さないから……」 シェーマス、パオロ、クレス、(と一応ルード)見回しても誰の姿もない。 「フランクとロビンも見えないし……ラセット=ラッチの侵入以外に、何かあったのかしら?」 「フランクさんの処、行ってみたら如何ですか?」 少しだけ目を丸めるローズに、思わず笑みが漏れた。今更そんなこと、気にする必要もないのに。 「ここ二、三日調子悪そうだったんです。働き詰めだったから、部屋で死んでるかも」 「……そうね」 ローズは独り言のように返事をして、弟が手を伸ばした杯を今度は自分で取り上げる。 「酔っ払いは嫌いよ」 「……解ってるよ」 「昔はよく三人で隠れて飲んだのにな」 ウイスキーの瓶を口に運びながら、ラセットがぼやくように云った。地下を照らすのは古びたガス灯が一つばかりで、数メートル先にいる相手の姿さえ満足に見えない。 「お前が一番ガキのくせに、一番強かったな。飲み比べで一度も勝ったことが無ぇ」 「ラセットが弱すぎるんだよ。僕のせいじゃない」 「俺だって強い方だ。酷いのはあいつだ、一口で顔真っ赤にしやがる……」 ロビンの方は一人だけちゃんとグラスを用意して、丁寧にワインを飲んでいた。ワイン越しのガス灯の明りが、銀の髪を微かに赤く染める。 「あれ以来一度も会ってねえのか?」 「誰と?」 「手前の兄弟だろ……?」 グラスに残っていたワインを一気にあおる。綺麗な紅い色は流れ落ちて姿を消した。 「兄弟なんかいないし、親戚もグランマ以外は皆亡くなったよ。知ってるだろう?」 ラセットは肩をすくめて、柵に背中を預ける。酒の香りで、冷えた空間の存在が薄らいでいく。 天井の方からは、忙しない足音や賑やかな人々の声が、絶え間なく響いていた。 「協会の奴等とは飲まないのか?」 「上で飲んだって歌をせびられるばかりで何も楽しくないよ。何が嬉しくて野郎連中の為に歌わなくちゃならない」 「報酬の歌はよ?」 「今日の酒は高かったからね。残念ながらそれで報酬のすべてだよ」 ロビンがグラスの縁に唇を当てて、つくつくと笑った。珍しく酔っているのかも知れない。若しくはそのように演じているのか。 「何が知りたい?」 「ん?」 「お前がオレに酒を出すのは、酔わせて何か吐かせようとしてるときくらいだからな。昔と同じ手で通用すると思ってるのか?」 「……『仕事』の話をしているのかい?」 「ああ、そうだな」 ロビンは会話を続けずにグラスにワインを注いだ。紅い液体は僅かに滑り落ちただけで、瓶はもう空になっている。瓶底が石畳を叩く音がして、少しの沈黙の後やっとロビンが言葉を紡ぐ。 昔の彼に似ていた。あの時、沈んだ紺の目で鏡越しの白い髪を見て、やはり短い沈黙の後で言葉を紡ぎ出した。暗く低く悲しそうで、自嘲の色を含む ―― 確かな存在感を有した、声。 「……ねえラセット」 「歌は好きかい?」 ххх 冷たい空気に満ちた、人気のない地下の廊下。扉の向こうから漏れる乏しい明りの方からは、宴の狂喜の声までこちらにやってきていた。 思わず、ため息が漏れた。音や光が少なく、空気の冷たい処は無条件に心の安息をもたらす。 「魔法使いさ〜ん、生きてますか〜?」 うつむいた彼の視界にひょこりと侵入した黒髪の少女が、子供っぽい口調でその人を呼んだ。呼ばれた人は驚きで右の目だけ丸めて、ゆっくりと頭をもたげる。 先刻まで舞台の上で年不相応な挨拶を行い、大勢の人に囲まれていたはずの少女は、ご満悦と云わんばかりに、にっこりと笑った。 「……グレース」 「ウィズは、宴が嫌いなのかい?」ふざける口調の彼女に、 「ちょっと苦手なだけだよ」彼が真面目に答えた。 ウィザード(魔法使い)、若しくは愛称としてウィズと呼ばれた青年は、青白い顔に無理矢理笑顔を貼り付けた。調った顔立ちのほとんどは、どうやら上手く表情を作る機能を失っているらしく。顔の左半分に至っては包帯でその姿を覆われている。 少女の方は承知の事実として特別に気に止める様子もない。 「僕は少し出掛けてくるからね。上手くやっといてよ」 「出掛けるって、今から…?サバトの最中に?」 「そう」 結い上げた長い髪を解きながら、グレースは当たり前に返事をした。やはり彼の困惑を楽しむように。 「主役の君が?」 「主役は宴の席を外しちゃいけないなんて、何処の道理だい?朝の道理?夜の道理?」 「世の中の道理だよ」 「僕の道理ではない。それに、先に席を外した君に云われる事じゃないよ。君は僕と同等なんだから」 今度は困惑よりも苦い顔をして、少女から視線を逸す。声の色だけは変えずに、淡々と吐き捨てた。 「崇拝者たちはそうは思ってない」 「……思っていないのは何より君自身だよ」 大人びた言葉に諭されて、諦めたように肩をすくめる。言葉遊びで彼女に勝てる気がしない。 「何処に行くの?」 「協会だよ?何なら君の兄弟にも挨拶しておこうか」 「兄弟じゃなくて従兄弟だよ。それにいくらグレースだってロビンには捕まりかねない」 「君より優秀なウィザードでない限りは捕まらない」 グレースは黒いコートでその小さな身体を包んで、にっこりと笑った。両の頬には縦線のペインティング、黒い髪は光を受けて紫色に輝く。 「違うかい?」 ―― 君と僕が同等だと思っていないのが僕だけなのではない。恐らく同等だと思っているのが彼女だけなのだ。 人間にあらざる彼女が、名無しの魔法使いと同等な訳がないのだ。 |