「変わったな……お前、昔と」 「君が変らなすぎるんだよ」 僅かな灯で浮かび上がる、暗い地下牢。格子のこちら側の人間は傷付いた指の先を舐め、格子の向こう側の人間はその傷の血で額を汚す。 「次に君が僕に対して嘘をついたら、君の命を代価に悪魔を呼ぶとするよ」 「おお、桑原くわばら」 ロビンはくすりと笑って、紅い指を包むように拳を握る。相手に届くかも分からない、呟くような声で。 「君は中立者なんかじゃない。昔から、ただの『知りたがり』だ」 ばたばたと、無遠慮な足音が地下牢に響いた。ロビンがすくりと立ち上がり見た先に現れたのは、牢屋番を変わったチャールズだ。酒で頬を赤らめてはいるが、ちゃんと意識はある。 「ロビンくん……!」 「何か?」 チャールズは牢の中のラセットを一瞥してから、一度自分の乱れた息を飲み込んだ。 「上にウィリアムスが……気絶したフランクを連れて。ロビンくんに『死んだ』と伝えれば解ると」 ラセットが口笛を吹く。ロビンは顔色を変えずに――ただ早足で、牢の鍵をチャールズに渡して階段を登った。 心の中で舌打ちをして。 「パオロ=ウィリアムス!」 牢の階段を上がったところに、彼らの姿が在った。待っていたパオロと視線がぶつかる。 「シェーマスを襲いました」 「何故ここに連れて来たんだい?」 パオロはきょとんとしてごく当たり前に答える。 「牢に……繋いでおこうと」 「必要ない」 僅かなうめき声を上げてパオロの肩にぶら下がるフランクにふっと触れる。いつかの石の椅子と同じように軽くなった彼をロビンが背負った。 「パオロ」 「……牢番は」 「チャールズがいる。少し酔っているみたいだけど、問題ないよ」 つかつかと歩み始めた彼の後を、パオロが慌てて追う。追いついたところで、ロビンは視線を変えないまま淡々とパオロに告げる。 「パオロ、君は隠し事をするのが下手だ」 ххх クレスの長い髪が、肩から滑り落ちた。ふらつきながら歩く郁方に手を貸す彼女の頬は、先刻の涙と浮かんだ汗で僅かに濡れている。 クレスは郁方に何か伝えようとして――前しか見ない彼の目を見て、止めてしまった。 (本当は医務室に行った方が良いに決まってるのに……) いつか来た、丸いホールに着いた。並んだ扉は三つ。ひとつはあの恐ろしい「壁」に、ひとつは目的の場所へと続いている。郁方は一番右の扉をノックして、返事を待たずに声をぶつけた。 「笠木郁方です。お話があります、総帥」 扉は独りでにではなく、人間の手によって開けられた。内からそのドアを押したのは、いつもより冷たい顔をしたロビン=プラナス。 「意識があるなら、来ると思ったよルア」 部屋の中には、宴に出掛け損ねた(総帥)ファブリスと、長椅子に寝かされたフランクがいた。 「クレス、ありがとう。君は下がってもらえるかな……?」 そう云ってロビンはぴしゃりと扉を閉める。彼女の哀しい表情だけが、少しだけ残った。 「解らないことばかりです」 郁方の言葉にファブリスは眉間にしわを寄せ、いつもの席に腰を下ろした。指を絡め肘を付いて、深く息を吐く。 「君の保護が至らなかった点は本当に済まなかった。過保護にするというのは君にとって重…」 「フランクさんに何があったんですか?」 ファブリスは目を丸め、ロビンは少し悲しそうな顔をした。窓を隔てた冷たい夜は、硝子を白く濡らし始めている。 「……あれは彼の中に住み着いた寄生虫の仕業じゃよ」 「寄生、虫……?」 不意のノックで現れたのは、ルードを連れたパオロだった。どうやら総帥の言い付けでルードを呼んだらしい彼は、先刻のクレスと同様に扉の外へと追いやられる。結果として、部屋の中には郁方とファブリスとロビン、ルード、それとフランクがいる。フランクに意識はなく、ルードは不安そうに立ち尽くしていた。 「申し訳ないガラード卿。結局宴に参加出来ずじまいじゃろう」 ルードは答えずに顔をしかめ、郁方を見る。 「……シェーマス、その首の痣は……それにそこの人、どうして……」 「そこの人」は恐らく動かないフランクに向けられたものだろう。問いに答えたのはロビンだ。 「彼はフランク=マッケンナ、シェーマスの直属の上司だよ。彼がシェーマスの首を絞めた」 「っ…!……なんで!その人……だって、人間なんですか?」 声を荒げるルードの肩を、郁方が静かに引いた。口を噤んだルードを見て、ファブリスは先刻と同じ言葉を、先刻と同じ調子で云う。 「彼には寄生虫がついている……もう七年も前からのことじゃよ」 ххх 今から七年前。 『フランク、お前昨日も魂狩を一人締め上げたそうじゃないか……!』 チャールズが、喜々として十八歳のフランクの背中を叩く。中央廊下にはいつもの人といつもの賑わい。フランクは困ったようにへらりと笑った。 『向こうもビギナーでしたから、先輩ならもっと簡単に掴まえれてましたよ』 そう云う彼の顔には、オマケみたいな絆創膏が一枚あるばかり。 『ビギナー?ルーキーの間違いじゃないのか?』 チャールズはまた豪快に笑ってフランクの背を叩く。 なんて云ったって、フランク=マッケンナは外務の新人の中では飛び切り優秀だ。先週も同じような言い訳をしながら二人の魂狩と五人の崇拝者をお縄にした。 間も無く、協会に凶報が入る。 ――ある年若い古代魔法使いが上級悪魔の召喚に成功した。 長い間、悪魔崇拝側に優秀な古代魔法使いはおらず、それを統べるのは中級悪魔だった。魔法使いの技量と、召喚できる悪魔の階級が比例するためだ。――それが、上級悪魔の召喚をしたと。 中央廊下でその知らせを聞いたチャールズとフランクは互いに顔を見合わせる。チャールズは青ざめ、フランクは強い嫌悪を浮かべ。 ――上級悪魔が悪魔崇拝の主と変わる前にこれを亡き者とする。討伐隊志願者は直ちに申し出よ。 凶報には収集の言葉がついた。云うまでもなくそれの主な対象は人魂課の外務班員であり、命令に近いものであった。 チャールズは視線を落とし、フランクは歩を速めた。 『フランク……ねぇ、どうしても行くの…?』 討伐隊の召集場所へと向かう彼を、同期のローズ=コナーが必死に止めた。フランクは何も答えずに、歩みもゆるめずに。 『協会は上級悪魔がどんな恐ろしいものなのか解っていないのよ!“王”も“騎士”も見つかっていないのに、そんなの……』 『そんなおとぎ話クソくらえだ』 『おとぎ話なんかじゃ……!』 フランクはぴたりと歩みを止めて、ローズの方に向き直った。彼女の顔には不安と、焦りと、恐怖が滲んでいる。――何に対する恐怖か。その表情を視界から隠すように、ローズの頭にそっと手を乗せた。 『おとぎ話はアンタを助けてくれない』 『そうだ、素晴らしい』 不意に通り掛かった重役が声を張り上げた。ローズの肩がびくりと震える。 『フランク=マッケンナ、君は優秀だ。君が討伐隊に参加していること、頼もしく思うよ』 その重役が誰なのか解らない。フランク=マッケンナは片膝をついて、感謝と謙遜の返事を紡ぐ。 ローズ=コナーは、涙を手の平で握りつぶした。 |